レースクイーンもグラビアも素行の悪さで仕事なし→上福ゆきが東京女子プロレスに入るまで【2023人気記事】 (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by 林ユバ

【アメリカで受けたひどい人種差別】

 中学2年生の終わり頃、父がアメリカに転勤することになった。日本を離れたくなかった上福は、「犬を飼ってくれたらアメリカに行ってもいい」と父に交換条件を出す。父はこれを承諾し、渡米した翌日、ペットショップで犬を買った。コーギーの赤ちゃん。「ランディ」と名づけた。

「昔から動物が大好きだったし、アメリカで友だちができる気もしなかったので、犬がいたらどうにかやっていけるかなと思って」

 案の定、友だちはできなかった。それどころか、ひどい人種差別に遭った。オハイオ州の中でも小さな町で、白人が99%以上。アジア人は珍しく、「英語が喋れない」とエイリアンのような扱いを受けた。日本人のイメージは、"一重で細くて背が低い"。背が高く、目鼻立ちのはっきりした上福は、余計に「何者なんだ?」という目で見られた。多感な年頃だったため、子供たちは彼女に対して容赦なかった。

 現地時間の12月8日、真珠湾攻撃(1941年)が起きた日の前日、学校から連絡があった。「みんな日本人に何をするかわからないから、明日は学校を休ませてもいい」――。

「結局、母親に『行け!』と言われて行ったんですけど、授業中はめちゃくちゃ気まずかったです。先生が真珠湾攻撃の動画を流して、日本人のことを悪く言うような授業でした。かといって、広島や長崎の原爆の日には何もないんです。自分たちが攻撃を受けた時のことだけ。日本人もそうだと思うんですけど」

 教室の隅で、いつもポツンとしていた。クラスメイトが何を話しているか、まったくわからない。何がわからないかもわからない。みんなが席を立ったら、上福も立つ。見様見真似の生活だった。みんなが話す言葉を、とにかく真似してみる。赤ちゃんが言葉を覚えるように音で覚えるうちに、少しずつ少しずつ、わかるようになっていった。

 毎週月曜日、アメリカの国旗に向かって胸に手をやり、忠誠を誓う時間があった。アメリカに来て1年ほど経ったある日、いつものように国旗に向かっていると、黒人の男の子に「お前はジャップなんだから、アメリカに誓ってんなよ!」と罵られた。ついに堪忍袋の緒が切れ、英語で叫んだ。「トヨタはジャパニーズの車だぞ! シャープはジャパニーズのTVだ!」――。

「そのように主張したら、『こいつには意思がある』と思われたんでしょうね。『ゆき、ウケる』みたいになって、サンドバッグのような存在から少し変わりました。会話してもらえるようになって、汚い言葉だろうが何だろうがとにかく喋るようにしたら、どんどん上達していきましたね」

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