ケンコバが語るハンセンとの秘話「日本プロレス界最大の事件」の後に届いた手紙 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

――テリー・ファンクとの抗争、ジャイアント馬場さんとの名勝負、ブロディとのミラクルパワーコンビ......全日本に移ってからのハンセンは輝きを増しました。そのハンセンが高山、垣原の「U系」と初遭遇したのが、今回お話しいただいた1998年8月の6人タッグでした。

「ハンセンが"U"のレスラー相手に不成立の試合をやるんじゃないか、といった不穏なムードの中で、ハンセンがダンカン・ジュニアを徹底的にフォローしたから、俺にとって余計に忘れられない試合になったんです。ただ、ハンセンは高山選手とのマッチアップでガンガンやり合っていましたし、試合後は途中まで花道を引き上げた後に、再びリングサイドに突進して高山選手と大乱闘を展開。あのキレっぷりで本来のハンセンを取り戻しましたね」

――あそこで、ハンセンが怒った理由はなんだったんでしょうか?

「U系のレスラーがカッコつけている、と思ったかもしれませんね。アップライトの構えなんか、ハンセンは嫌いそうですもん。あとは、当時の全日本でやる選手が少なかった、ローキックが嫌だったのかもしれません」

――なるほど。

「こうして記憶を辿っていくと、つくづく思うんですが、ほぼ忘れかけた試合でもすごく歴史的な試合は全日本プロレスに埋もれているんです。それこそ、日テレがある汐留には歴史的遺産、宝の山が埋まっているんですよ。この連載でも何回か言ってますけど、それをDVD化してほしいですし、日テレアーカイブにはホンマに期待しているんです」

(連載11:『やめろぉぉ!』天龍源一郎の「53歳」に柴田勝頼が白目 リングサイドのケンコバは叫んだ>>)

【プロフィール】

ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメトーーク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。

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