アントニオ猪木とモハメド・アリには共通点があった。実況アナが明かす試合前の10日間

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kyodo News

実況アナ・舟橋慶一が振り返る「猪木vsアリ」(3)

(連載2:「あれはアントニオ猪木でなければ見せられない瞬間だった」アリ戦の前に行なわれた異種格闘技戦>>)

 昨年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さん。幾多の名勝負をリングに刻んだ"燃える闘魂"が世界の格闘技史を揺るがせた試合といえば、1976年6月26日に行なわれたモハメド・アリとの一戦だろう。

 その「格闘技世界一決定戦」を実況した元テレビ朝日アナウンサー・舟橋慶一さんが、当時を振り返る短期連載。第3回は、試合のルールが決まるまでの混乱と裏話を明かした。

(以下、敬称略)

計量後、猪木(左)を挑発するアリ計量後、猪木(左)を挑発するアリこの記事に関連する写真を見る

【取材後に見たアリの孤独な姿】

 アリが猪木との「格闘技世界一決定戦」のために来日したのは、試合の10日前の1976年6月16日。トレーナー、マネージャーなど総勢30人を引き連れて羽田空港に姿を現すと、多くの報道陣やファンが押し寄せ、アリはもみくちゃになりながら待たせていた車に乗り込んだ。

 その翌日から、舟橋はアリの試合前調整の取材を始めた。カメラの前では猪木を罵倒し、挑発するパフォーマンスを披露したが、取材しなければわからなかったアリの本当の姿を見た。

「カメラの前のアリは、常に饒舌で猪木さんを挑発したりおどけたりしていましたが、取材が終わってひとりになると寡黙でした。その静けさ、孤独な姿を見た時、『やはり、プロスポーツマンだな』と思いましたね。

 そこは猪木さんと似ている部分がありました。猪木さんは、リング外で相手を挑発することはなく闘志を内に秘めるタイプではありましたが、やはり常にカメラを意識していましたから。『大衆にどう見られるか』を考えている部分は共通していたと思います」

 2人のファイトマネーに関しては諸説あるが、その中の報道のひとつではアリが610万ドル(約18億3000万円)、猪木側は350万ドル(約10億5000万円)とも言われていた。金銭面の条件は合意したが、ルールは直前までまとまらずに紛糾。話がまとまらずに試合が迫るなか、猪木は舟橋に心境を明かしていた。

「とにかく『やるしかない』と言っていましたね。おそらく猪木さん自身も、どういう展開になるのかわからなかったと思います。それでも、どんなルールになっても受け入れて試合をする覚悟を決めていました」

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