「あれはアントニオ猪木でなければ見せられない瞬間だった」実況アナ舟橋慶一も釘づけ アリ戦の前に行なわれた異種格闘技戦 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

【猪木に感じたオーラと、アリに対しての殺気】

 ルスカ戦が終わってからから約1か月半後、1976年3月25日にニューヨークのプラザホテルで調印式が行なわれ、アリ戦が正式に決定する。ラフなジャケット姿で現れたアリに対し、猪木は紋付き袴姿で登壇した。

 大声で挑発を繰り返すアリを、猪木は静かに受け流した。現地で取材した舟橋さんは、あらためて猪木のオーラを実感した。

「あのアリと並んでも、猪木さんはまったく見劣りしない堂々たる佇まいで、むしろアリを見下ろすような殺気がありました。『これぞアントニオ猪木だ』と私は感動しましたよ」

 紆余曲折を経て辿り着いた、アリ戦の正式決定に舟橋も万感の思いだった。

「ついに猪木さんが夢をかなえた。とうとうアリを捕まえたと感動しました。あらためて、とてつもない男だなと思ったものです」

 契約書にサインした時点で試合は正式決定。しかし、舟橋が抱き続けてきた不安が完全に消えることはなかった。

「柔道とプロレスもルールは違いますが、投げや関節技などは噛み合う部分も多かった。だからルスカ戦は、観客もそれほど違和感なく見ることができたんです。

 だけど、プロレスとボクシングはまったく違う。だから当時の私は、正式に試合が決まったあと、『どうやって試合を成立させるのか?』という不安が大きくなっていきました。土壇場で試合が流れる可能性もあると思っていたんです」

 舟橋さんが抱いた不安は、図らずもアリの来日後に形になって表れることになる。

(3)猪木とアリには共通点があった。実況アナが明かす試合前の10日間>>

【プロフィール】

舟橋慶一(ふなばし・けいいち)

1938年2月6日生まれ、東京都出身。早稲田大学を卒業後、1962年に現在のテレビ朝日、日本教育テレビ(NET)に入社。テレビアナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組、ドキュメンタリーなどを担当。プロレス中継『ワールドプロレスリング』の実況を担当するなど、長くプロレスの熱気を伝え続けた。

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