グレート・ムタの日本デビュー戦の失敗に、馳浩は「俺が盛り上げてやる」 大流血の死闘を締めた「担架へのムーンサルト」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

――なるほど。

「ただ、当時の僕は『馳はベトコン・エクスプレス でやらへんのや』と思いましたよ」

――ベトコン・エクスプレスとは、1985年8月にジャパンプロレスに入団した馳さんが、海外修行先のカナダ・カルガリーで先輩の新倉史祐とタッグを組み、覆面をかぶっていた時のリングネームですね。

「そうですね。新倉さんがベトコン1号、馳さんが2号でした。越中さんの『サムライ・シロー』はただのリングネームでしたけど、馳さんの場合は覆面レスラーですから、ムタと同じように別キャラクターだったんです。ムタvsベトコン2号のほうが、ムタvsサムライ・シローよりよっぽど『化身対決』だったと思います(笑)。しかもジャパンプロレス時代は、権利も何もなかったはずですから、勝手に覆面レスラーとしてやろうと思えばやれたはずですよ」

――ムタvsベトコン2号が実現していれば、プロレスの歴史が変わっていたかもしれませんね。ただ、そうして迎えたムタvs馳はすさまじい試合になりました。

「馳さんの『俺が盛り上げてやる』発言がありましたから、俺は『こんなこと言われて、グレート・ムタ(武藤敬司)のプライドはズタズタやろうな』と思っていましたが......試合は、ホンマに馳が動きまくる試合になって。それで、芸術的な映画のような、すごい試合になっていったんです」

――特に印象的だったシーンはありますか?

「馳さんが、コーナーに押し込んだムタに張り手をしまくるんです。そうしたら、ムタのペイントが消えていって素顔の武藤になったんですよ。つまり、ビジュアル的に『武藤敬司vs馳浩』になったわけです。

 だけどここから、武藤さんがサムライ・シロー戦ではほとんど出さなかった手刀やトラースキックなどのオリエンタル技をバンバン出した。そして、場外の鉄柱攻撃で馳さんの額を叩き割ったんです。

 すさまじい流血戦になりましたが、攻撃の手をムタは緩めなかった。馳さんに素顔にされ、ムタの中に秘められた"悪"が覚醒した瞬間でした。サムライ・シロー戦の失敗を糧にした武藤さんもさすがですが、馳さんの対戦相手を光らせる力も見事でしたね」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る