ケンコバが憤ったグレート・ムタの「黒歴史」 無理やり化身対決にされた越中詩郎は「犠牲者です!」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

――この試合で、何があったんでしょうか?

「俺は当時、『まず、マッチメイクがダメやな』と思いました。なぜならグレート・ムタは、武藤さんが1989年にWCWでペイントレスラーとして変身した、完全に『武藤敬司』とは別人格の新しいキャラクター。一方でサムライ・シローは、単なるリングネームで、越中さんが別人格になったわけではなかったからです」 

――確かにそうですね。

「越中さんは1984年3月、三沢光晴さんと共にメキシコへ武者修業に旅立ちました。そこで授かったリングネームが『サムライ・シロー』。ただ、現地の人もわかりやすい日本人っぽい名前というだけで、別のキャラクターに変身したわけじゃないんです。ムタには、武藤敬司にはない毒霧などオリジナルムーブがあるじゃないですか。だけど、『サムライ・シロー』には独自の動きなんてない。なのに、ムタの日本デビューだからといって無理やり『化身対決』みたいにされたんです」

――全然、化身対決じゃないですね(笑)。

「そこに俺は、切なさを感じましたよ。しかも、ムタもあの日だけはなぜか、いつもの『武藤敬司』のような戦い方だったんです。日本で初めて『グレート・ムタ』として試合をするわけですから、あれほどの天才でも戸惑いがあったんやろうなと。だからこの試合は、ただのペイントした『武藤敬司』と、名前が少し変わっただけの『越中詩郎』の試合になってしまったんです。

 そんな試合をどうやって見ればいいのかわからず、感情移入ができなくて......試合はムタが勝ったんですけど、ファンからは大不評で専門誌でも酷評されたんです。当時の俺も『何でこんなことになるんや! マッチメイカー連れてこい!』って嘆きましたよ。日本デビュー戦でコケてしまったことでムタの株は大暴落し、すぐには人気が出なかったんです」

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