小橋健太のひたむきさに馬場も「まいったよ」 がん克服の感動の一戦、母に送り続けた「お弁当箱」の秘話を全日本実況アナが明かした (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

 小橋の試合で印象深いのは、若林が実況しなかった一戦だという。1995年1月19日に大阪府立体育館で、小橋が川田利明に挑戦した三冠ヘビー級選手権だ。

 この試合の2日前、1月17日に阪神淡路大震災が発生。関西地方は甚大な被害に見舞われ、興行の開催が危ぶまれた。結局は開催されることになったが、日本テレビは予定していた中継をとりやめに。過酷な状況でメインイベントのリングに立った小橋と川田の試合は、60分フルタイムの引き分けとなった。

「私は実況をしていないんですが、あの60分フルタイムでの引き分けは忘れられません。震災直後の大変な状況のなか、小橋選手と川田選手はすごい試合をした。おそらく精神的にも厳しかったと思いますが、60分を戦い抜いた一戦を忘れることができません」

【小橋のがんからの復活に、後輩アナが感動実況】

 若林はもう1試合、全日本を退団し、プロレスング・ノアに移籍したあとの試合を挙げた。小橋は2006年6月に腎臓がんを公表して長期欠場。過酷な闘病生活を終えた2007年12月2日、日本武道館で復帰戦を行なった。

 高山善廣と組み、三沢光晴、秋山凖と対戦。結果は、三沢の雪崩式エメラルドフロウジョンに敗れたが、がんからの復活に、超満員の武道館には小橋コールが響き渡った。

 この一戦は、日本テレビの矢島学アナウンサーが実況。矢島アナは小橋が3カウントを奪われた瞬間にこう叫んだ。

「小橋が勝ちました! 腎臓がんに勝ちました!」

 若林は、この矢島アナの実況が忘れられないという。

「あの矢島アナウンサーの実況こそ、"励ましの詩"です。すばらしかった。私はこの試合を実況していませんが、このすばらしい言葉は鮮明に記憶に残っているんです。

 放送が終わったあと、すぐに私は矢島アナに電話して『お前、すごいよ。胸を打たれたよ』と伝えました。おそらく矢島アナは、あの言葉を事前には用意していなかったと思います。試合には負けたかもしれない。でも、小橋選手はがんに勝った。その自分の思いを、そのまま表現したんじゃないかと。そういった言葉は、言霊の圧が違うんですよ」

 そう笑顔で振り帰る若林は、プロレス実況から離れて久しい。しかし、励ましに徹した名台詞の数々、実況アナという立場も越えてプロレスを愛する姿は、今でも多くのプロレスファンの記憶に残っている。

(敬称略)

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