ジャンボ鶴田を変えた天龍源一郎との「鶴龍対決」 そのラストを実況した若林健治アナは、ふたりの対極的な姿を目撃した (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

 一方、天龍は違った。

「私が当時、東京の砧にあった全日本の合宿所に取材に行った時のことですね。若手選手がちゃんこを作っていると、天龍選手が『今日のちゃんこは何だ?』と聞いたんです。その日は鳥のつくね鍋だったんですが、天龍選手は『バカ野郎!俺に恥をかかせるな。若林さんが取材に来ているんだぞ。牛肉を買ってこい』と命じたんですよ。

 でも、若手選手が『会社から用意されている"ちゃんこ銭"がないんです』と言うので、天龍選手は自分の財布を渡して『これで買って来い』と言ったんです。あの人は、若手選手に『たばこを買ってこい』と命じる時も常に万札を渡していた。それで、おつりは受け取らない。それらはすべて、若手選手のお小遣いになるんですね。そういう点でも人望を集めたんです」

 天龍は1990年4月に全日本を退団し、新たに大手眼鏡チェーン店「メガネスーパー」が設立した団体「SWS」に移籍。SWSには天龍を追って全日本から大量の選手が移った。ギャランティーが大幅にアップしたことが、その背景にあるとも伝えられているが、若林アナは、若手選手への面倒見のよさゆえに「多くの選手が天龍さんについていった」と見ている。

【もっと鶴龍対決を伝えたかった】

 そんなふたりが真っ向から激突した「鶴龍対決」は、1987年8月31日から7戦にわたって行なわれた。若林アナは、全日本プロレス史に残る名勝負のラストマッチを実況している。

 お互いに3勝で迎えた1990年4月19日、横浜文化体育館での一騎打ち。鶴田が持つ三冠ヘビー級王座に天龍が挑戦した一戦は、天龍の入場時にスタン・ハンセンが襲撃するハプニングでスタート。入場を控えていた鶴田が慌ててリングインし、ハンセンをリングから降ろした。

 ハンセンに急襲された天龍の様子を伺うように近づいた鶴田に、天龍が張り手を見舞った。そこから感情むき出しの激闘に、若林アナも「夢見る男たちに幸いあれ」という言葉を叫ぶ。そして試合は、バックドロップホールドで鶴田が勝利。この試合を最後に、天龍はSWSへ移籍することになる。

「私は『これから、さらに鶴田選手と天龍選手の名勝負を実況できるぞ』と燃えていたんですが、あの試合で最後になってしまいました。天龍選手が全日本を退団するなんてことはまったく知りませんでしたよ。ですから、あの退団の報道が出た時はショックでした。もっと鶴龍対決を伝えたかったですね」

 若林アナにとって不完全燃焼となった「鶴龍対決」だが、その数日前、天龍の魅力をあますことなす実況した名勝負があった。

(敬称略)

◆連載3:「プロレスは男の詩」天龍源一郎に重ねた「反骨」の心 ハンセン失神事件の秘話も明かした>>

【プロフィール】
若林健治(わかばやし・けんじ)

1958年、東京都生まれ。法政大学法学部を卒業後、1981年に中部日本放送に入社。1984年、日本テレビに入社。数々のスポーツ中継を担当するほか、情報番組などのナレーターとしても人気を博す。2007年に日本テレビ退社後は、フリーアナウンサーとして活躍している。

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