武藤敬司の全日本移籍時、新日本の社長だった藤波辰爾が明かす「驚きはなかった」本音。プロレス愛を貫いた「天才」の引退にメッセージを贈った (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

【最後の東京ドームで「武藤はムーンサルトプレスをやる」】

 全日本へ移籍した武藤は2002年秋に社長に就任し、名実ともに団体のトップに立った。以来、藤波と武藤はリング内外で長らく交わることはなかったが、藤波が2013年1月26日の大田区総合体育館で全日本に初参戦。そこで接点が生まれ、藤波が主宰する「ドラディション」、武藤が主宰した「マスターズ」などで対戦、あるいはタッグを組むなど絆は復活した。

「このプロレス界というのは不思議な世界で、仲違いした選手でも、どこかに接点ができると再び交わる。しかも武藤は、どこか人を惹きつける引力を持っています。彼の性格が為せる業なのかもしれないんですが、不思議な魅力を持っているレスラーなんです」

 それから月日は流れ、2023年2月21日、東京ドームで武藤は引退する。藤波は去りゆく後輩をこう評した。

「彼は天才ですよ。プロレスの申し子。プロレスをやるために生まれてきたような男です。その原動力は、"プロレスが好き"ということ。彼は、私生活でもプロレスのことばかり考えている。それは僕も同じです。何を犠牲にしてもリングに上がり、ファンに対してインパクトを残したいと常に考えていると思うんです。

 だから僕は断言します。2月21日、東京ドームで武藤はムーンサルトプレスをやる。自分を犠牲にしてでも、絶対にやる。それがレスラーなんです」

 2018年3月、両膝に人工関節を入れた武藤は、主治医から「ムーンサルトプレス」の使用禁止を通告されている。しかし藤波は、武藤の「レスラーの性」が最後にトップロープから舞わせると予告した。

 最後に藤波は、武藤にこんな言葉を贈った。

「辞めてもずっと、プロレスは好きでいてくれよ」

(完)

【プロフィール】
藤波辰爾(ふじなみ・たつみ) 

1953年12月28日生まれ、大分県出身。1970年6月に日本プロレスに入門。1971年5月にデビューを果たす。1999年6月、新日本プロレスの代表取締役社長に就任。2006年6月に新日本を退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げする(2008年1月、同団体名を『ドラディション』へと変更)。2015年3月、WWE名誉殿堂『ホール・オブ・フェーム』入りを果たす。

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