グレート・ムタは引退発表後のアントニオ猪木にも忖度なし。伝説の一戦に藤波辰爾は「武藤には自分より上のレスラーはいないという自負があった」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

【ステップから違った武藤とムタ】

「武藤敬司」と「グレート・ムタ」、まったく正反対のキャラクターを作り上げた背景については次のように分析する。

「おそらく彼は、明確にふたつのキャラを切り替えたり、使い分けたりしていなかったと思います。彼はいつも自然体で、ナチュラルにそれをやっていた。だからこそ恐ろしい存在でしたし、新日本にとって大きな存在になったんだと思います」

 ムタは新日本マットに降臨後、東京ドームなどビッグマッチ限定で登場した。それはまるで、昭和の時代に特別参戦していたNWA世界王者のようだった。

 そんな破格の存在となったムタと藤波が初めて対峙したのは、1991年9月23日の横浜アリーナでのことだった。試合は入場から豪華演出が駆使され、二代目・引田天功のイリュージョンで両者がリングに現れた。

 ゴングが鳴ると、藤波は顔面を真っ赤にペイントしたムタに対してドラゴンロケットを放つなど、真っ向から仕掛けた。対するムタは、場外の鉄柱攻撃で藤波を流血に追い込む。試合終盤、ムタが緑の毒霧をレフェリーの顔面に噴射し、リング上は無法状態に。そこでムタが藤波の頭部をビール瓶で殴打すると、最後はムーンサルトプレスを見舞って勝利した。

 極悪ファイトに翻弄されて敗れた初対決を、藤波はこう振り返った。

「初めてムタという選手と向かい合って、武藤敬司とはまったく違うレスラーと対戦している感覚になりました。まず、ステップが違うんです。武藤の時のステップはつま先に重心をかけるような感じなんですが、ムタはすり足。相手がステップを変えると、こっちも身構えるものです。普通のレスラーは、簡単にステップを変えられません。それをスムーズにできてしまうところが、彼の"天性"ですね」

 藤波を倒して以降、ムタの存在はますます大きくなっていった。1年後の1992年8月16日に福岡国際センターで長州力を破り、新日本の最高峰であるIWGPヘビー級の王座を奪取したのだ。ムタが武藤より先にIWGPのベルトを巻いたことを、藤波は「それだけ、当時の新日本がムタを特別な存在と認めていたということです」と明かす。

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