若き武藤敬司が前田日明に「あんたらのプロレスつまらない」→旅館破壊の大乱闘。藤波辰爾が考える、UWFに反抗した理由 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 木村盛綱/アフロ、平工幸雄/アフロ

【武藤が反抗した理由】

 目的は「親睦」だったが、事態は予想だにしない展開となった。前田の隣に座った武藤が、酔った勢いで「あんたらのプロレスつまらないんだよ」と断じ、殴り合いとなった。それを発端に他の選手も巻き込んでの乱闘に発展。旅館の壁、柱、トイレなどが壊され、新日本が弁償することになった。それが、現在もさまざまなメディアで語られる「熊本旅館破壊事件」だった。

 藤波も宴席に参加していたが、自分の食事を済ませて早々に自室に引き上げたため、乱闘の一部始終は目撃していない。ただ、当時の新日本内部でUWFへの不満が募っていたことはわかっていた。

「既存の新日本のレスラーにはUWFに対するアレルギーがありました。前田にしても藤原にしても、もともとは新日本で育った選手。かつて同じ釜の飯を食っていたのに、戻ってきたら格闘スタイルという違う路線で新日本を飲み込もうとした。言ってみれば彼らは、『新日本を潰そうとしている』。そう感じていて、自分たちも『そうはいかんぞ』と抵抗したんです」

 藤波は、前田との一騎打ちで大流血に追い込まれるなど、リング上で体を張ってUWFから新日本を守った。しかし他の多くのレスラーは、危険な試合を仕掛ける前田に嫌悪感を持っていながら、面と向かって抗議する選手はいなかった。そんななかで武藤は、旅館での宴席で前田への怒りをぶちまけたのだ。

 武藤が前田に反抗した理由を、藤波はこう分析する。

「武藤だからこそ、あの前田に面と向かって反抗できたんです。おそらく武藤は、『なんで先輩たちは、そんなにUWFに身構えるのか』という思いがあったんじゃないかと。前田が新日本にいた時から所属していた選手は、ほとんどが前田を嫌って遠ざけていましたが、武藤は前田がいったん新日本を離れていた時に入門してきたから、前田へのアレルギーがなかったんです。

 しかも当時の彼は、デビュー3年目くらいでプロレスラーとしての型が定まっていない時期でした。キャリアが10年を超えるあたりから、レスラーにはそれぞれに殻ができてそれを破れないものなんですが、武藤にはその殻がまだなかった。だから前田であろうがUWFであろうが、何の抵抗もなかったんです。しかも彼の性格は、ナチュラルで怖いモノ知らず。酔った勢い、というわけではなく、前田に文句を言って殴り合うことができたんです」

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