堀口恭司が「最強のMade in JAPAN」になるまで。空手でボコボコにされた日、師匠KIDとの渡米前のやりとりも語った (2ページ目)

  • 篠崎貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro
  • 田中亘●撮影photo by Tanaka Wataru

【ボコボコにされて闘争本能に火がついた】

――ただ、最初は空手を嫌々やっていたとも聞きます。いつ頃から楽しくなっていったんですか?

「中学生の時に、(防具をつけながらの直接打撃もある)『一期俱楽部』という栃木県足利市にある空手道場で、館長だった二瓶さん(故・二瓶弘宇氏)の息子で同級生の二瓶孔宇と対戦することになったんです。事前に、親父が孔宇のビデオ見ていて『めっちゃ強いよ』と言っていたんですが、僕は『いやいや、全然いけるっしょ』と思っていて。でも、いざ対戦したらボコボコにやられたんですよ。そこから、『コイツを絶対にぶっ飛ばす』と思うようになったんです(笑)」

――その一期俱楽部で直接打撃を学ぶことになるわけですが、その日に闘争本能に火がついた感じでしょうか。

「その日は、合計4人と対戦して3人に負けたんです。もともと負けず嫌いなので、悔しくて火がついた感じですね。それからは、他の子たちが手を抜いていても、僕はひたすら『勝ちたい』と思って本気で練習しました。自分が強くなっていくのがわかったし、それがワクワクして夢中になっていったんです」

――堀口選手の出身地は群馬県高崎市ですから、移動には時間がかかったんじゃないですか?

「そうっすね。当時は高速道路も通ってなかったんで、行きも帰りも1時間ずつ、往復2時間くらいかかってましたね。ずっと、父親が車で送り迎えしてくれていました」

――プロとして活躍するようになってからも、試合で日本に帰国した際には一期俱楽部の道場で空手の稽古をしているそうですね?

「コロナ禍になってからは、子どもたちがたくさんいるところには行けなくなっちゃいましたけどね。その前まではずっと行ってましたよ。試合前に時間を取って、空手をやっていた頃を思い出しながら稽古して、試合に臨んでいました」

――アマチュア修斗時代の写真のなかに、今と変わらない距離と角度でカーフキックのような蹴りを出している写真を見たことがあります。日本でカーフキックが注目されるようになったのはここ数年だと思いますが、空手には似たような技があるんですか?

「カーフキックは、空手の足払いの応用という感じ。でも、ちゃんとカーフが効くとわかったのは、アメリカに練習拠点を移してからです」

――最近では、平本蓮選手も空手(剛毅會)の稽古をしていて、それがMMAに生かせている、という発言もしていますね。

「挑戦する人はたくさんいますけど、すぐに諦めることも多いですよね。やはり自分に何が必要かを考え抜くことが大事です」

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