燃える闘魂の用心棒・藤原喜明が語る、
「猪木vsアリ戦」秘話

  • 長谷川博一●取材・文 text by Hasegawa Hirokazu
  • 平工幸雄●写真 photo by Hiraku Yukio

 アントニオ猪木vsモハメド・アリの「20世紀最大のスーパーファイト」は、1976年6月26日、日本武道館で行なわれた。膠着状態が続き、引き分けに終わったことで当時は「世紀の凡戦」と酷評されたが、38年の歳月が流れた今、再評価されている。当時、猪木のスパーリングパートナーを務めた「関節技の鬼」藤原喜明に当時を振り返ってもらった。

――猪木さんのスパーリングパートナーに抜擢されたのはいつですか?

藤原 76年の4月か5月だったかな。アリ戦のために猪木さんは直前のシリーズを休んだんですよ。自分も休んでずっと一緒に練習してました。ボクシングを覚えるように言われて、俺は日本のヘビー級ボクサーとスパーリングしましたね。俺が猪木さんにパンチを出して、猪木さんがその間合いに馴れていくという練習。他はいつもと同じコンディション作りを中心にやっていたね。

――その段階では、猪木さんはどんな戦法を考えていたのでしょう?

藤原 他人に相談する人じゃないし、ましてや俺に聞くはずもない。掴まえて倒すしかないんじゃないですか。相手をなんらかの方法で倒して乗っかって締めるとか。スパーリングで面白い場面がありましたよ。猪木さんがバーッと前に出てきたんで、俺はコーナーに両手をかけて両足を上げた。猪木さんは蹴りをよけられたから怒ってたけど、6月26日の試合でアリは実際にそれをやったよね(笑)。「私がアリだったらこうします」っていうことですよ。ただ、俺の仕事はもうひとつあった。

――猪木さんのですか?

藤原 そう。どこからの情報だか知らないけど、当時はいろいろ物騒な話もあったからね。誰かから指示されたわけじゃないけど、いざという時は猪木さんの盾になる。命をかけるつもりでしたよ。

――試合3日前の調印式では、途中でアリが舞台から下りて新日本の若手に突っかかるシーンがありました。藤原さんもアリと睨み合ってますよね。

藤原 あれはハッキリ覚えてる。俺とピタリ目が合って、アリは「こいつじゃない、あいつのほうだ!」と違う選手を指差したんだよ。俺はもう命がけ、死ぬ気で行ってるからね。

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