石井優希「私は紗理那の代わりじゃない」東京五輪で出場したときの想い 引退を決意した瞬間などを語る (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

【心に残る試合と監督について】

 バレー人生を振り返って印象に残っている試合を聞くと、少し考えながらこう答えてくれた。

「まず1つ目は、2015年に久光がアジア代表として出場した世界クラブ選手権でのエジザージュバシュ(本拠地:イスタンブール)戦です」

コロナ禍でもチームで結果を残したコロナ禍でもチームで結果を残した 相手は優勝候補だったが、粘ってこのチームを破ったことは自信につながったと振り返る。

「2つ目は2021−22シーズンでファイナル進出を決めた、東レとのゴールデンセット(25--23)。その日は久光の状態があまりよくなかったんですけど、ゴールデンセットの前の15分の空き時間で切り替えられて、楽しく試合ができました」

 なかなか絞るのが難しいと言いながら、もうひとつ挙げるとすれば、これも東レとの試合になるが、2014−2015シーズンの開幕戦だという。東京体育館で行なわれた開幕戦にフルセットで久光が勝利した。

「開幕戦なのに決勝戦なみに白熱したのを覚えていて、試合中、足がつってすごく迷惑をかけていたんですけど、仲間に助けてもらいながら、決勝戦のように戦えた開幕戦だったのですごく覚えています」

次に、これまで関わってきた監督についても聞いてみた。久光の現在の監督である酒井新悟氏については「本当にお父さんのようで、選手ファースト。選手がこうしたいって言ったら、意見をくんでくださる方」

 久光と代表で関わり、髪型をマネるくらい憧れた中田久美さんは「バレーに熱い人ので、一つひとつ厳しいですね。『なんでこういうプレーをしたの?』と追及されたのが印象に残っています。私は元々ちゃらんぽらんだったので、20代のときにそういう厳しい監督に巡り合って、久美さんだったからここまでできたんだとすごく思っています」

 最後は眞鍋政義監督。「面白いですよね。いろいろうまいなと思います。人と人とのつながりだったり、選手のことをよく見ていて、『女性はこうしたら喜ぶだろ?』みたいなのをわかっているのかなと思います。選手の引き出しがうまい監督です」

最後にプライベートでは、引退後の8月4日の一粒万倍や天赦日、大安が重なった吉日に「真面目で熱心な彼と能天気で優柔不断な私で上手くバランスを取りながら、これからは二人三脚で」と入籍したことをSNSで公表した。

 インタビュー時にはまだ公表されていなかったため、発表後に改めてうかがうと、「結婚を決めたきっかけは、一緒にいて居心地のよさがあり、安心させてくれる存在だったからです」とまっすぐなコメントが返ってきた。「子供が2人以上は欲しいと思っているので、愛がたくさん溢れる家庭を築いていきたいと思っています」

 選手としてのバレーボール人生は一旦終えても、トレードマークの笑顔でこれからも、石井優希らしくバレーボールや多くの人と関わりを持って歩んでいく。

Profile
石井優希(いしい ゆき)
1991年5月8日生まれ、岡山県出身。身長180cm。
高校卒業後、久光スプリングスに入団し、引退までの約13年間中心選手として活躍。2017−18シーズンには、久光のVリーグ王座奪還の立役者となり、最高殊勲選手賞を獲得した。日本代表としては19歳で初招集されて以降、苦しい時期を乗り越え、2016年リオ五輪、2021年東京五輪の大舞台を経験。2023年6月30日付で現役を引退し、8月には結婚を発表した。現在は、解説などを中心に活躍中。

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