石井優希「どこをどう見てそう思われるんですか?」初めて中田久美監督に言い返した日 日本代表時の経験などバレー人生を振り返る (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

【よく知る監督だからこその衝突】

 そして次の監督は、久光の監督だった中田久美さんだった。

東京五輪では苦しみながらも戦い抜いた photo by FIVB東京五輪では苦しみながらも戦い抜いた photo by FIVBこの記事に関連する写真を見る「2017年から中田監督の代表合宿が始まったんですけど、久美さんとも戦いましたね。久光の時もそうでしたが、いつも怒られ役でした。ただ、バレーに熱い方ですし、普段はいじられたりとか明るい方なんです。久美さんのショートヘアがすごく好きだったので、直接、美容院を教えてもらって担当者も同じ方を指名したりしました」

 代表監督になった中田さんは、「代表はいろいろなチームからの寄り合いだから久光のときほど好き勝手は言えない」と言っていたという。しかし、久光の選手には、よく知っているからこそ期待もあったのではと石井さんは推測する。

「久光時代は、言われたことに対して何も言い返せなくて、ただ返事しかできなかったんですけど、久美さんが代表監督になった2017年には、自分でも思うことがあったので、初めて言い返しました」

「世界で勝ちたい、強くなりたい」と思うからこそ、監督との話し合いは欠かせなかった。

「言い返したのはプレーについてです。あとはすごく決めつけられた感じがしたので、『久美さんはどこをどう見てそう思われるんですか?』とか、みんなの前で言っていました。夜中に呼ばれて直接話をして、結局、久美さんの私に対する期待があっての厳しい言葉というのはすごく理解できて、長いつき合いであってもじっくり話さないとわからないこともあるなと、その時に感じました」

 次のオリンピックを迎える前に、常勝だった久光はVリーグで7位、8位と低迷した。この頃、石井は移籍も視野にあったと振り返る。

「私自身も自分のプレーが全然だったし、どうしていいかわからなくて、久光が嫌になったのではなく、東京オリンピックを目指す上でどうするのが一番いいのか迷った時期がありました。その時に1度環境を変えて、のびのびとバレーをしたいと思い、移籍しますとチームに伝えました。引き止めていただいて、また迷って......。久美さんと食事して、相談しました」

 中田さんは「久光にはブランド力があるし、久光の石井優希のブランドは捨てないほうがいい」とアドバイスしてくれた。その一言が、チームに残る大きなきっかけとなった。

「実際に引退まで久光に残って、移籍しなくてよかったと本当に思いました」

後編:「私は紗理那の代わりじゃない」東京五輪で出場したときの想い>>

Profile
石井優希(いしい ゆき)
1991年5月8日生まれ、岡山県出身。身長180cm。
高校卒業後、久光スプリングスに入団し、引退までの約13年間中心選手として活躍。2017−18シーズンには、久光のVリーグ王座奪還の立役者となり、最高殊勲選手賞を獲得した。日本代表としては19歳で初招集されて以降、苦しい時期を乗り越え、2016年リオ五輪、2021年東京五輪の大舞台を経験。2023年6月30日付で現役を引退し、8月には結婚を発表した。現在は、解説などを中心に活躍中。

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