父は鹿島などでプレーしたJリーガー 女子バレー賀谷明日光が明かす、Vリーグでの「仕事とプレーの両立」の大変さ (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • 松永光希●撮影 photo by Matsunaga Koki

――GSSでは、平日に働きながらリーグもプレーしていたと思いますが、難しさもありましたか?

賀谷 本当に難しかったですね。2年目くらいまではフルタイムで働いて、終わったら練習という流れでしたが、アップする時間も少なく、すぐにゲームということも多かったです。チーム専用の体育館を持つのも難しくて、近くの大学さんが貸してくれたりしましたけど、練習は週に3回くらいが限界。疲れがどんどん溜まりますし、自分のプレーを試合で発揮することは大変です。

それでも選手たちは懸命にプレーしていますけどね。仕事とプレーを両立するのは、みんなが大変だと思っていたはずです。

――2019-2020シーズンには、チームのVリーグ2部の準優勝にも貢献。2021-22シーズンをもって退団し、東京都実業団バレーボール連盟に所属する東京スリジエでプレーすることになります。その経緯を教えていただけますか?

賀谷 GSSでは3年目(2019-2020シーズン)くらいまで多く出場できていたんですが、最後の2021-22シーズンは3試合と少ししか出られなかった。そのシーズンは、体的には動ける感覚があったんですが、アピールできる機会がなかったのでバレーをする環境について考えるようになりました。

Vリーグ、2部のチームでは事情が違う部分もあるのかもしれませんが、そこに所属する選手だからこそ、自分がやりたいことができない部分もあった。「じゃあ、自分で動いてみようかな」と思ったんです。

それでスリジエの代表さんとも話をして、「うちで女子チームつくってみるからやってみないか」と提案をいただいて。「練習はする時間、場所もあるし、やってみたいこともやっていい。うちでやることはプラスになるんじゃないか」って言ってくださったので、入団を決めました。

――ちなみに、スリジエはどんなチームでしたか?

賀谷 男子チームは3年くらい前に創設されて、女子チームは私がGSSをやめた昨年の4月からスタートしました。Vリーグには加盟していない、地域に密着しながらバレーを広めていく、というコンセプトのチームです。

私はVリーグから離れる当時は、バレーを楽しめずに、自分を追い込んでしまう時期も長かった。でも、スリジエでプレーをしたことで「もっとうまくなれる。バレーはやっぱり楽しい」と思えるようになりました。そこで、またVリーグに挑戦しようという気持ちになれたんです。

(後編:「体の一部を撮られているんじゃないか」という性的撮影と、別の「悩ましい問題」>>)

【プロフィール】
賀谷明日光(がや あすみ)

1995年11月16日生まれ。茨城県ひたちなか市出身。土浦日大高校から東京女子体育大学に進学。卒業後はV2(Vリーグ2部)のGSS東京サンビームズに入団し、可憐な容姿とコート内での闘志溢れるプレーで人気を博す。2021-22シーズンをもって同チームを退団後、千代田区を拠点にする東京スリジエにて主将を務めた。2023年2月に同チームを退団し、同4月にカノアラウレアーズ福岡に入団した。身長174cm。ポジションはミドルブロッカー。父は元プロサッカー選手の賀谷英司氏。

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