「錦織圭がこの先、どれくらいプレーできるか、わからないから」元コーチ、ダンテ氏が思い出を語る (2ページ目)

  • 内田 暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【『圭のコーチにならないか?』と電話をもらった】

 ボッティーニと同世代の南米には、アテネ五輪で単複金メダリストとなるニコラス・マスー(チリ)や、シングルス最高5位のフェルナンド・ゴンザレス(チリ)、シングルス15位のフアン・イグナシオ・チェラ(アルゼンチン)など、のちのトップ選手が複数名いる。

 その同世代とも、ジュニア時代は勝ったり負けたりの関係性。だが、ボッティーニは19歳で早くもプロキャリアに見切りをつけた。

「その当時の僕のランキングは、シングルスが800位台、ダブルスは300位台だったと思います。辞めた一番の理由は、金銭的に厳しかったから。特に当時の南米の人にとって、北米や欧州はすべてのコストが2倍、3倍かかる感じでした。もちろん、辞めるのは残念でした。でも同時に、次のキャリアに目を向けるべきだと思ったので、すぐに前向きになれたと思います」

 その後、ボッティーニは母国に戻って高校を卒業すると、アメリカの西フロリダ大学に進学してスポーツ経営学の学位を修得。当初は「スポーツビジネスの世界に進むつもりだった」と言う。

 そんな彼をコーチの道に誘ったのは、大学での経験だったという。ほかのチームメイトより年長だったこともあり、自然と指導者的立場に立った彼は、人を教え導く喜びに魅せられる。そこで卒業後は、インターンとしてIMGアカデミーでコーチ業に従事するようになった。

「最初は、週に何回かレッスンを受けにくる子どもたちや、一般の人たちを教えていました。そこから競技レベルのジュニアを指導するようになり、マリア・シャラポワ(ロシア)やトミー・ハース(ドイツ)ら、トッププロのヒッティングパートナーもしました。その後、補佐としてプロツアーにも帯同するようになったんです。

 圭のマネージャーから『圭のコーチにならないか?』と電話をもらったのは、プロ選手も見るようになってから1年半ほど経った時でした」

 それが、2010年末──。錦織が20歳から21歳を迎える頃合いである。

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