あの時。錦織圭がM・チャンに洗脳された瞬間 (3ページ目)

  • 山口奈緒美●文 text by Yamaguchi Naomi
  • 真野博正●撮影 photo by Mano Hiromasa

「故障明けで欠場しようと思っていたときでも、いざ大会が始まったら調子が上がっていって優勝したこともある」という経験だ。加えて、錦織が「(チャンコーチは)軽く洗脳してくる」と表現したほどだから、何度も同じ激励と叱咤を繰り返したことだろう。

『大丈夫だ、君ならできる、もうケガはすっかり治っている、痛みは気のせいだ、君の体は強いんだ!!』――という内容だったかどうかは定かでないが、それが耳に頭にこびりつき、プレイの中で得た微かな好感触に刺激されて、錦織の体は“反応”を起こした。そして、ほとんど動かさなかった足がどれだけ動くのかという不安、実戦不足による試合勘の低下という不安もすぐに乗り越え、猛スピードで本来のプレイを取り戻していったのだ。

“反応”を促したのは、手術後、テニスができない間もトレーニングだけは怠(おこた)らなかったという自負と、今季は大会中も重いトレーニングを日課に組み入れるなど積み上げてきた体力への自信だったに違いない。

 チャンコーチの経験談については、全仏オープンの前にも聞かされたと錦織は言っていたが、あのときの錦織は、その経験を共有することができなかった。それからの3カ月の間に、確実に何かが変わっていたということだ。ただそれは、「瞬間」で言い表せるものではなく、本人も気づかぬうちに少しずつ……。

 あらゆる不安を試合の中で一掃しての快勝――全米オープン1回戦の、あの勝利を起爆剤として、チャンコーチへの信頼は一層揺るぎないものになり、錦織は階段を駆け上がり続けた。グランドスラム・ファイナリストとなり、世界のトップ5へ。

 ナダルやジョコビッチはもちろんのこと、33歳になったフェデラーがまだ同じレベルで戦い続け、その時代に錦織が同じ域に到達した奇跡の巡り合わせに、感激と感謝の言葉が見当たらない。

“フェデラー引退後”にとっておく予定だった楽しみは、今、次元の異なる興奮に生まれ変わった。


「2014年、錦織圭が変わった瞬間」(3)>>


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