「相手の思う壺にはまる」クボタスピアーズ立川理道はリーグワン逆転優勝に向け、どんなことをチームメイトに話したのか (3ページ目)

  • 齋藤龍太郎●文・撮影 text & photo by Saito Ryutaro

【長い低迷期を経ての初優勝】

 トラクターなどの農機メーカーとして広く知られているクボタで、スピアーズの前身にあたるラグビー同好会が産声を上げたのは1978年。今回の優勝から45年も前のことだ。1984年に関東社会人4部リーグで優勝。入替戦に勝利し同3部リーグ昇格を決める。創業100周年の1990年にはラグビーがクボタのカンパニースポーツに位置づけられ、さらに強化が進んだ同年、2部昇格。1996年に1部で優勝し、1997年には全国社会人大会に初出場。翌1998年に最上位リーグの東日本社会人リーグへの昇格を果たす。

 2003年に開幕したトップリーグには1シーズン目から参戦し、リーグ黎明期は上位にこそ食い込めなかったもののリーグ中位を保ち続けた。だが、2010-2011シーズンは13位に終わり、前述のとおりトップイーストへ降格。翌シーズンに立川が加入し、2013-2014シーズンにトップリーグ再昇格を果たすが、その後は降格こそ免れていたものの下位が定位置のシーズンが続いた。スーパーラグビー(当時)の南アフリカの名門ブルズを連覇に導いた名将、フラン・ルディケHCが就任した2016-2017シーズンも12位、その翌シーズンも11位と結果が出ない時期が続く。

 それでもルディケHCを招聘した石川充ゼネラルマネージャーはその手腕を信じ、中長期的な計画のもと強化を続けた。「会社として、力強いトラクターのような日本で一番強いFW(フォワード)を作りたかった」という言葉のとおり、今やリーグトップのパワフルなFWが完成。BK(バックス)には経験値の高い立川やフォーリーに加え、木田や根塚といった活きのいいランナーが揃い、優勝を目指せる体制が整った。

 先人たちの腐心、会社のバックアップがあってこそ、今のスピアーズがある。立川はそれを重々理解している。

「会社が根強くサポートしてくれたからこの結果が出た。苦しい時代を知っているOBの方々からいただいたたくさんのメッセージ、そしてオレンジアーミー(スピアーズのサポーターの愛称)の応援も力になり、最後に勝ちきることができた」

 自身も低迷期を経験した立川の長いラグビーキャリアのなかで、優勝を決めた5月20日は一言でどんな日になったのだろうか。その質問に対して立川は少し考えたあと、こう答えた。

「恩返しの一日になった。トップイーストにいた時からも会社はトップレベルと変わらないサポートをしてくれたし、選手たちも少しでも順位を上げようと一生懸命やってきた。その思いを背負って、今日優勝することができたので、恩返しができたのではないか」

 優勝の2日後、立川は初めてMVPに選出された。表彰式の会場に入ってから受賞を知り「驚いた」と本人にとっては意外な結果だったようだが、この受賞もまた、今まで立川をバックアップしてきた会社や関係者に対する恩返しと言えよう。

 「リスペクト」と「恩返し」。ラグビーの競技性にも通じるその精神を胸に、33歳のベテランは引き続きラグビープレーヤーとして研鑽し続ける。

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