「下川甲嗣がボールを持ったらスローモーションに見える...」幼少時に言われたひと言が日本を代表するフォワードを生んだ (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 福岡の高校生にとって、ヒガシにチャレンジできるのは大きな楽しみです。しかし、挑戦できずに高校ラグビーが終わってしまった。最後にヒガシと対戦するところまで行けなかったことは正直、心残りですね」

── 大学は慶應義塾大に進学したお兄さんと同じ道を歩まず、早稲田大に進学しました。

「高校3年時は現実的に時間がなくて(進学するのが)厳しかったので、浪人も覚悟しないといけないな......と思っていました。するとその時、早稲田大ラグビー部を指揮していた山下大悟監督(当時)から声をかけていただいたんです。

 早稲田大にも憧れがあったので、兄に相談すると『そんなチャンス、絶対にないぞ』と言われて(笑)。結果、スポーツ推薦で合格することができました。

 でも当時、体重は90kgくらいしかなくて、身長も今(189cm)より2〜3cm小さかった。正直、『山下監督はどこがいいと思ったのかな?』と思うくらいでしたね(笑)」

── しかし早稲田大では、1年生から試合に出ていました。

「1年生の春からNo.8(ナンバーエイト)で出場させてもらいました。そして2年生から4年生まではLO(ロック)。体もだんだん大きくすることができたので、大学3年時には齋藤直人さん(現・東京サンゴリアス)の代(4年時)に大学選手権で優勝することができました」

── 当時もまだ「日本代表になりたい」という気持ちは?

「全然なかったですね」

── それでもラグビーは続けようと思っていた?

「はい。ラグビーは好きでしたし、やりたくないという気持ちには全然ならなくて......。どこかの会社に就職して、どんな形であってもラグビーをやめたくないなと思っていました。でも、大学3年生で日本一になったくらいから『やっぱり社会人でもトップレベルで挑戦したい』と思うようになりました」

── サンゴリアス以外のチームからも声がかかったのでは?

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