「無名高校、無名大学出身の夢を背負って」異色の経歴でブレイクした竹内柊平は「ラグビーワールドカップ3回出場」を目指す (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

「展士さんと慎さんのスクラムは似ているというか、上のレベルになると形はどうしても一緒になると思います。ふたりとも現役時代はトップでプレーしてきた方たちなので、『8人でまとまって8人で組む』という日本人にあったスクラムをすごく重視しています。

 D-Rocksでやっているスクラムができればジャパンのスクラムもできますし、ジャパンのスクラムができればD-Rocksのスクラムもできる。自分としてはすごくやりやすいですね。僕はまだまだケツの青いガキですけど、どんどん勉強して進化しています」

── とはいっても、竹内選手のラグビー歴も短くはないですよね。

「ラグビーは宮崎ラグビースクールで小学校6年から始めました。日本代表にも選ばれたメイン平(WTB・FB/ブラックラムズ東京)の姉のメイン桜とは、小・中・高・大......スクールでも一緒の幼なじみ。平も小さい頃から知っています。

 僕は中学生になるまで身長が160cmもなくて、体重も60kgくらい。小さくて体型もまんまるで、身長順に並んだらクラスで一番前でした。ラグビースクールでも、どのポジションもできない感じでしたね」

── 当時は日本代表にも興味はなかった?

「地元の宮崎でよくエディージャパンは練習していましたが、僕は高校生まで自分でプレーすることしか興味がなくて......。日本代表もほとんど見にいったことはありませんでした。2015年ワールドカップで日本代表が南アフリカ代表を倒したのも、サッカー部の友だちから聞いたくらいでしたから(笑)。

 身長が低かったので、フィジカルも強くありませんでした。中学時代を知る高校のチームメイトからは「反則後はお前のところを全員狙っていたよ」と言われているくらい。でも、高校生から急に身長が伸びて180cmになると、タックルも激しくいけるようになりました。今は体重117~118kgなので、当時の2倍くらいになりましたね!」

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