「エディージャパン」誕生ならず。ラグビーの世界的名将が「第二の母国・日本」を最後の地に選ばなかったわけ (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

【エディーが大激怒した日】

 現地報道によると、エディーは当初、ワラビーズ指揮官の前任者ニュージーランド人デイブ・レニーHCを監督する「ディレクターオブラグビー」に就任し、2023年ワールドカップ後に直接指導する予定だったという。ただ、レニーHCがエディーの下で指揮するのを断ったため、2023年ワールドカップでも指揮することになった。

 イングランド協会との契約に『2023年は他国で指揮をしてはならない』という条項がなかったことも、ワラビーズHC就任を後押しした。また、エディーHCは女子代表チームの強化にも積極的に関わっていくという。

 忘れもしない出来事がある。

 2015年9月、日本代表がワールドカップを戦うためにイングランド・ブライドンに入り、地元自治体による歓迎セレモニーが開催された。その冒頭でワールドカップを振り返る映像のなか、2003年オーストラリア大会の決勝で敗れたエディーが大きく映し出されると、それを見て大激怒。負けず嫌いのエディーにとって、母国開催の決勝で負けたことは大きな屈辱だった。

 母国を率いてワールドカップを獲得すること。エディーHCにとって、それはどうしても叶えたいラストミッションだろう。しかも、チャンスは2023年と2027年、2度もある。

「オーストラリアラグビー界にとって(この5年間は)非常に重要な時期となる。ワラビーズには才能ある選手が豊富で、選手層も非常に厚い。コンディションがよければフランス(ワールドカップ)で24年ぶりの優勝ができると確信している」(エディーHC)

 日本代表は予選プールDで、エディーが指揮するチームと対戦することはなくなった。だが、もし予選プールを2位で勝ち上がり、エディーHCが率いるワラビーズが1位で予選プールCを通過すれば、両国は準々決勝で激突する。

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