「エディージャパン」誕生ならず。ラグビーの世界的名将が「第二の母国・日本」を最後の地に選ばなかったわけ (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

【W杯で9割近い勝率を記録】

 一方、"ワラビーズ"の愛称で親しまれるオーストラリア代表も、この9カ月でチームを再構築しなければならない。しかし、サンゴリアスでもプレーした元オーストラリア代表の「レジェンド」マット・ギタウは、語気を強めてこう語った。

「ワールドカップは、エディーが一貫して正しい結果を出し続けてきた大会だ」

 たしかにエディーHCの真骨頂は、ノックアウトトーナメントのワールドカップにこそある。

 2003年はオーストラリア代表を率いて準優勝し、2007年は南アフリカ代表の戦術アドバイザーとして優勝(7勝0敗)に貢献。2015年は予選プール敗退となったが日本代表を率いて3勝1敗、そして2019年はイングランド代表を率いて準優勝。指揮官として15勝2敗(アドバイザーを入れれば22勝2敗)と、9割近い勝率で無類の強さを誇っている。

 そんな"希代の勝負師"を、世界のラグビーシーンが放っておくはずがなかった。イングランド代表解任のニュースが流れると、すぐにフランスのプロクラブ、アメリカ協会、ジョージア協会などがエディーに接触したと報じられた。

 サントリーでエディーとともに戦ってきた土田雅人氏は現在、日本ラグビーフットボール協会の会長を務めている。エディーは「(土田会長と会食の予定は)ないです」と否定したが、2023年ワールドカップ後の指揮官候補だったことは容易に想像された。

 昨年12月中旬、エディーは自身の今後について「プロクラブはない。ナショナルチームで(指揮する)。2~3週間で結論を出す」とキッパリと断言した。1996年に東海大でプロ指導者のキャリアをスタートさせた日本か、それとも母国オーストラリアのいずれかで最後の指揮官になる心づもりをしていたようだ。

 短い"浪人中"でも、エディーは日本人指導者に対するセミナーやサンゴリアスで指導するなど、コーチとして足を止めることはなかった。しかし最終的には、オーストラリア協会との5年契約を選んだことが発表された。

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