ラグビー日本代表の「10番」争いに21歳の李承信が名乗り。ジョセフHCも「パスがうまくなっている」と期待大 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文・撮影 text & photo by Saito Kenji

大学2年で中退した異色SO

 しかし、日本代表は相手との接点でプレッシャーを受けて反則を繰り返し、そこからリズムを失ってしまう。日本代表が得意とするはずのキッキングゲームでも、あまり優位な状況を作ることができなかった点も悔やまれる。

 6点リードで迎えての残り2分。No.8(ナンバーエイト)リーチ マイケルが自陣での相手ラインアウトのボールをスチールし、危機を脱したかに思われた。だが、直後の李のキックは相手にチャージされてピンチ脱出ならず。その後、モールからトライとゴールを奪われ、逆転負けを許した。

「ひとつひとつのプレー精度やマイボールになった時、確実に敵陣に入ることが今後の課題です」

 勝てなかった要因を聞かれ、李はこう答えて唇を噛んだ。

 2001年生まれの李は、ふたりの兄の影響で4歳から兵庫県ラグビースクールで競技を始めた。中学時代は兵庫県選抜で全国優勝に寄与し、大きくクローズアップされたのは大阪朝高2年の時。春の選抜大会などの活躍で高校日本代表に選出され、3年時は「花園」全国高校ラグビー大会で12番を背負って存在感を示した。

 次兄の李承リョ(リ・スンリョ)と同じ帝京大学に進学すると、1年時から主力のひとりとして大学選手権にも出場。さらにU20日本代表を中心としたジュニア・ジャパンに選ばれ、共同キャプテンも務めた。そして李は、海外を経験したことでより高いレベルでプレーしたい気持ちが芽生え、大学2年での中退を決める。

「大学を退学した時も、自分がこれから進む道に後悔がないように、ひとつひとつの行動や過ごし方を大事にしようと思っていました。今、振り返っても後悔はしていないので、もっと自分が選んだ道に誇りを持てるように頑張っていきたい」

 しかし、コロナ禍の影響を受けてしまい、ニュージーランドへの留学は断念せざるを得なかった。ただ、その後に選んだ新たな道、地元の名門・神戸製鋼への加入が大きな転機となった。

 1年目こそ試合に出場できなかったが、2年目はトップリーグ4試合に出場し、さらにリーグワンになった3年目の今年は副将のひとりに抜擢。チームの中軸として13試合に出場し、今春に日本代表の一員として名を連ねるまでに成長を遂げた。

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