【ラグビーW杯】過去7大会、ニッポン「桜の戦士」たちの軌跡 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji  photo by AFLO

 この「145」という数字は、過去のW杯における最多失点(得点)記録で、苦い思い出としていまだ日本ラグビー界の歴史に重くのしかかっている。では一方で、唯一の勝利はいつだったのか。

 宮地克実監督・LO(ロック)林敏之主将体制で挑んだ1987年の第1回大会(開催国:ニュージーランド&オーストラリア)は、予選のない招待という形での参加だった。初戦のアメリカ代表戦は同数のトライ(3-3)だったが、キックの成功率の差で18-21と惜敗。続くイングランド代表とオーストラリア代表にも負けて、3連敗で大会を終えた。

 1991年の第2回大会(開催国:イングランド中心に計5ヶ国)は、宿澤広朗監督・SO/CTB(スタンドオフ/センター)平尾誠二主将体制で挑み、スコットランド代表とアイルランド代表に健闘しながらも敗戦。しかしながら、第3戦のジンバブエ代表戦で9トライを挙げて52-8と快勝し、これが日本代表のW杯での唯一の勝利となっている。

 第3回・南アフリカ大会は前述した通り。1999年の第4回大会(開催国:ウェールズ中心に計5ヶ国)は、ラグビーがオープン化(プロ化)して初めてのW杯となった。日本代表は平尾誠二監督・CTBアンドリュー・マコーミック主将のもとで挑む。W杯前のパシフィック・リム選手権(※)では悲願の初優勝を遂げ、期待感も大きかった。だが、本番ではサモア代表に力負けし、ウェールズ代表、そして同格と思われていたアルゼンチン代表にも敗れ、3連敗で大会を去った。

※パシフィック・リム選手権=日本、アメリカ、カナダ、トンガ、フィジー、サモア、香港の7協会で行なわれた対抗戦。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る