元ソフトボール日本代表・長崎望未が語る現役時代 1年目で四冠達成も「よく思われていない噂を耳にして、精神的に追い詰められてしまって...」 (3ページ目)

  • 石塚 隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi
  • photo by Tatematsu Naozumi

【正直『もう賞は返しますから』って気持ちになるくらいに追い詰められて】

――高校卒業後の2011年、トヨタ自動車女子ソフトボール部に入部され、初年度から主力として日本リーグ(現・ニトリJDリーグ)の優勝に貢献。ご自身も本塁打王、打点王、ベストナイン、新人賞の四冠に輝いています。女子ソフトボール界に"天才"が現れたと話題になりました。

「振り返ってみると、新人ですぐに試合に出られるとは思っていなくて、トントン拍子で結果が出てしまったっという感じです。調子がいいというよりも、調子が悪かった時期があまりなくて、淡々とシーズンを過ごしていた印象でした」

――それは意外ですね。

「シーズンが終わるとすぐにU19の世界大会があって、日本リーグの表彰式に参加できなかったんです。帰ってきたら寮の部屋にトロフィーや賞状が置いてあって、あまり実感がわかなかったというか(笑)」

――とはいえ、素晴らしいスタートですよね。

「元々新人賞は獲りたいと思っていたので、とてもうれしかったのですが、当時まだ18歳です。結果は出したけど、未熟な部分もたくさんあったので、周りの目が気になったというか...」

――当然、注目度は高まりますよね。

「足りない部分があるのに、あの選手は...みたいな、よく思われていない噂みたいなものを耳にすることもあり、精神的にきついなって。正直『もう賞は返しますから』って気持ちになるくらいに追い詰められてしまって...」

――自己評価と世間の評価。そこに妬みや嫉み。10代の選手としてはつらいですよね。

「自分はただ地道に頑張りたかったのに、という思いがあり、2年目はちょっと自暴自棄になってしまって......。うれしかったけれど、その分、違うものがついてくるんだって子どもながらに実感しました。ですが、プレーをしていくうちに何とか立ち直ることができて、最後はソフトボールに救ってもらいました」

――それがあったからこそ10年間の現役生活も乗り越えることができた。

「そうですね。一回落ちた分、自分のことを冷静に見られるようになりました。自分のためだけにソフトボールをプレーしているんじゃない。これまで関わってくれた方々のことを考えれば、今立ち止まっている場合じゃないぞって。それ以降は、毎シーズンを大切に、結果に貪欲になることができたので、トータルで考えれば、あのとき経験したことは決してマイナスではなかったなと思います。でも、当時は本当につらかったです(笑)」

この記事に関連する写真を見る

>>インタビュー後編を読む

【profile】 
長崎望未 ながさき・のぞみ
1992年6月19日生まれ。愛媛県出身。小学校3年生でソフトボールをはじめ、京都西山高等学校在学中にはインターハイで優勝。高校卒業後の2011年にトヨタ自動車女子ソフトボール部に入部。1年目のシーズンには本塁打王や新人賞など四冠を獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。2014年からは日本代表としても活躍。2020年シーズンをもって現役を引退。引退後はソフトボールの普及活動のほか、テレビ出演、アパレル、YouTubeなど多方面で活動している。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る