ジョシュ・ホーキンソン「まだ途中だけどスラムダンクを観ている」有名になって困ったことも (2ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Kaz Nagatsuka

── 帰化をするためのプロセスは、やはり大変なのですね。

「日本のプロセスは、ヨーロッパやほかのアジア各国のものよりもずっと厳しいと聞いた。ほかの国だと、その国の言語を必ずしも話せる必要がないところもあるようだし。

 だけど、この帰化申請の過程を経ることができてよかったと感じている。これをやり遂げたからこそ、日本人になれたことにより大きな感謝の念を覚えられたし、より日本代表になりたいと思わせてくれた。帰化までの過程が大変だったので、今も代表でいいパフォーマンスをしたいと強く思いながらプレーをしているよ」

── その言葉どおり、ワールドカップでのホーキンソン選手は高いパフォーマンスで活躍しました。今回のワールドカップで最も印象に残っている試合は?

「フィンランドとの試合(98-88で日本が勝利)かな。日本はこれまでワールドカップでヨーロッパの国を破ったことがなかったし、個人的には大学時代に対戦している(NBAユタ・ジャズのラウリ・)マルカネンとも再び対戦ができたから。

 マルカネンに対して、また世界に対して、僕が大学時代からどれだけ成長し、彼のようなハイレベルなNBA選手と対等にやれることを見せたかった。だから、ああいった舞台で自分の力量を示すことができて本当によかったよ。

 もうひとつ強く思い出す試合は、最後の(順位決定ラウンドで勝てばパリオリンピック出場が決まる)カーボベルデ戦の終盤。僕がコーナーから3Pを決めて勝利を決定づけた場面も印象深いね」

── 最終クォーター、日本はカーボベルデに追い上げられながら吉井裕鷹(SF/アルバルク東京)が中央からドリブルで中に切れ込み、ホーキンソン選手にパスしたシーンですね。ホーキンソン選手はあまりにワイドオープンだったので、あれだけ空いていると逆に緊張しそうです。

「そうなんだ(笑)。僕は3Pを得意としていて、ワールドカップの最中も練習では3Pがよく決まっていたのに、いざ試合となるとぜんぜん決まらないことが最初の3、4試合で続いていた。

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