F1日本GPを語ろう(3)高木虎之介「鈴鹿は得意なのに1周4秒も遅かった」「Xウイングがあれば......」 (2ページ目)

  • 吉田知弘●取材・文 text by Yoshita Tomohiro

── F1のエンジン音はかなり大きいのに、それでも歓声が聞こえてくるってすごいですね。

「もちろん、ふだんのレースでは(周囲の歓声は)聞こえないんです。だけど、いつもの10倍以上の歓声が上がったので、しっかりと聞こえてきましたね。

今でも、その1998年の最初の1周は覚えています。ピットアウトして1コーナー、2コーナーのスタンドの声援はすごかったし、グランドスタンドもお客さんでいっぱいだった」

── それはいい思い出ですね。

「でも、鈴鹿に行くと、なぜかあまり速くなかったんですよね(苦笑)。僕自身、鈴鹿は得意で走り慣れているコースだったから好きなんですけど、ティレルの時(1998年)もアロウズの時(1999年)もクルマが全然ダメで......。当時の状況がどれだけ大変だったか、今でも体で覚えています」

── そんなに大変だったのですか?

「1999年の時は、最終コーナーで毎回、クラッシュしそうになりながら走っていました。ものすごくクルマがピーキーで、シケインの立ち上がりからアクセルを全開にできなかったです。新品タイヤで(グリップして)やっといけたというくらい。中古タイヤになると全然踏めなかった。トップから1周4秒くらい遅かったような気がします。

 あの頃はクルマの(性能)差が激しかったですからね。距離が短いコースなら2〜3秒くらいで収まっていましたけど、スパ・フランコルシャン(ベルギーGP)とか鈴鹿に行ったら4秒くらいは差がついていました」

── 今のF1とは少し違うところですね。

「僕が乗ったティレルとアロウズにはパワステがついていなかったですから。ほかのチームはパワステもそうだし、いろいろなものが充実していて......それを考えると僕が乗っていたチームはひどかったですね(苦笑)。

 ティレルの時はエンジンブローが何度かあったし、アロウズの時は......当時16戦あったうちの10戦でエンジンブローしていました(笑)。だから完走率は悪かったです。

 アロウズで鈴鹿を戦った1999年の時も、たしかミッションだったかのトラブルが出て......。せっかくの日本グランプリなのに、調子が悪かったことだけは覚えています。

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