ロッシの後輩、シモンチェリの短過ぎた生涯。遺志を継ぐ日本人がいる (6ページ目)

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

 また、シモンチェリが生まれ育った地から指呼(しこ)の距離にあるイタリアのミザノワールドサーキットは、彼の名を追贈して正式名称をミザノワールドサーキット・マルコ・シモンチェリに改称すると発表した。さらに、彼のバイクナンバー58も、その栄誉を称えて永久欠番とすることが決定された。

 そして、13年に父のパオロ・シモンチェリが次世代のライダーを育成すべく、息子の遺志を継承するチーム、「SIC58 Squadra Corse」を発足させた。チームはイタリアの国内選手権からスタートし、15年には欧州をカバーするFIM CEV Moto3ジュニアワールドチャンピオンシップへと戦いの舞台を移した。17年からはいよいよMotoGPのMoto3クラスへ参戦。草の根レベルから地道に作り上げてきたこのチームが世界選手権へ挑戦する際して、パオロ・シモンチェリは日本人選手の鈴木竜生を起用した。  鈴木もチームとともに成長を続けた。

 19年の第13戦、ミザノワールドサーキット・マルコ・シモンチェリで行なわれたサンマリノGPで、鈴木はポールポジションからスタートして優勝。自身の記念すべきクラス初勝利を、文字どおりチームの地元であり、しかもシモンチェリの名を冠したコースで達成した。

 それから一年が経ち、今はまさに時あたかも、ミザノで20年のMotoGP2連戦が行われている真っ最中である。2連戦1週目のサンマリノGPでは、鈴木は最後まで熾烈な優勝争いを続け、優勝から0.232秒の僅差で3位表彰台を獲得した。今週末は同地で2連戦2戦目が、エミリアロマーニャGPと名を変えて開催される。そこで、我々は新たな歴史が刻まれる瞬間にふたたび立ち会えるだろうか。

【profile】 
マルコ・シモンチェリ Marco Simoncelli 
1987年1月20日、イタリア・カットーリカ出身。16歳でロードレース世界選手権125ccクラスに参戦し、2006年に250ccクラスに昇格、08年には年間王者を獲得。10年にMotoGPクラスにステップアップし、存在感を見せ始めていたが、11年マレーシアGP決勝レースで事故に見舞われ死亡した。享年24歳。

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