念願のエアレース日本大会で室屋義秀が笑顔。
「人生で一番いい日」

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki photo by Matsuoka Kenzaburo

 レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ(以下、エアレース)。日本での知名度は決して高いとは言えなかったその競技は、この半年ほどで大きく立場を変えていた。

 昨年11月、エアレースの日本初開催が発表された記者会見は実に静かなものだったが、5月16、17日の2日間、千葉・幕張海浜公園で行なわれたエアレースには、のべ12万人の観客が集まった。取材に訪れた報道陣も300人を超えたという。

日本で初開催となったエアレースには、12万人の観客が集まった日本で初開催となったエアレースには、12万人の観客が集まった エアレースが、短期間に日本での知名度を一気に高めた理由はさまざまあるが、なかでも分かりやすい"アイコン"の存在があったことは大きかったはずだ。

 室屋義秀のことである。

 アジア人として唯一エアレースに参戦している日本人パイロットは、2009年にエアレース・デビュー。以来、エアレースそのものが休止していた11~13年を除き、世界中のトップパイロットたちとしのぎを削ってきた。昨年は自身初となる表彰台(第2戦での3位)にも立っている。

 当然、室屋はエアレースの日本初開催にあたり、各方面で引っ張りだことなった。レースへ向けて忙しく準備を進めなければならなかったが、それでも多くのイベントに参加し、各種メディアの取材を受けることもいとわなかった。

 無理もない。エアレースを日本で開催することは、室屋にとって長年の念願だったからである。実際、室屋は17日のレース後にこんなことを話している。

「20年前、日本で航空スポーツは誰も知らない世界だった。誰も知らないところで飛ぶのは辛かったが、今回12万人に見てもらえて、多くのメディアにこれだけ紹介してもらって、かなり多くの人に知ってもらえたと思う」

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