【競馬】アイルランド人だからこそ見出せた、新たな競馬ビジネス

  • 河合 力●文 text&photo by Kawai Chikara

日々、管理馬の状態を一頭一頭チェックするスウィーニィ氏(写真右)。日々、管理馬の状態を一頭一頭チェックするスウィーニィ氏(写真右)。『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第7回

2012年、開業わずか11年でダービー馬ディープブリランテを輩出した『パカパカファーム』(北海道新冠町)。その成功の秘密を探っていく好評連載。今回は、同牧場のオーナーであるアイルランド人のハリー・スウィーニィ氏が、1998年に『待兼牧場』(北海道日高町)を辞め、2001年にパカパカファームを開場するまでの3年間にスポットを当てる。

 ハリー・スウィーニィ氏(現パカパカファーム代表)が、全権総支配人を務めていた『待兼(まちかね)牧場』(北海道日高町)を辞めたのが、1998年。手がけた馬たちがGIレースで活躍するなど、まさに待兼牧場が隆盛を極めていた時期にその職を手放したのは、やはり時を同じくしてアイルランドに帰国した家族の影響が大きい。

「1998年から私は日本での単身生活を始めましたが、可能な限りアイルランドと日本を行き来して、家族と一緒に過ごす時間を作りたいと思いました。子どもが4人と多く、なるべく妻に負担をかけたくない気持ちもありましたから。とはいえ、牧場に勤務する身では、もちろんそんな我がままは言えません。ですから、牧場勤務とは違う形でイチから始められるビジネスを模索しました。フレキシブルに動くことができ、さらに利益を得られる方法はないかと。そんなとき、私はひとつの新たな手段に思い当たったのです」

 スウィーニィ氏が見出した新たなビジネス。それは、日本の繁殖牝馬を、母国アイルランドやイギリス、あるいはアメリカなどの競馬先進国に輸出することだった。

 要するに、日本の牧場からスウィーニィ氏自ら繁殖牝馬を購入し、それを海外に持っていく。そして、スウィーニィ氏が購入したときよりも高い価格で、その繁殖牝馬を海外の牧場やバイヤーに売るのである。うまくいけば、購入額と売却額の差額がスウィーニィ氏の利益となる。

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