とにかく逃げる。毎日王冠でよみがえる快速馬サイレンススズカの残像 (2ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

 しかも、当時の天皇賞・秋には出走制限があって、外国産馬であるグラスワンダーとエルコンドルパサーは同レースには出走できなかった。つまり、この"3強対決"は本番では実現することがなく、「ここでしか見られない」という希少価値が、ファンの関心を一層高めることになった。

 ところが、ふたを開けてみれば、サイレンススズカのワンサイドゲームだった。グラスワンダー55kg、エルコンドルパサー57kgという斤量に対して、サイレンススズカは59kgを背負っていたが、そんな"ハンデ"をもモノともせず、芝1800mを危なげなく逃げ切った。

 レース後、2着エルコンドルパサーの手綱を取った蛯名正義騎手はこうコメントした。

「(サイレンススズカの)影さえも踏めなかったよ......」

 振り返れば、サイレンススズカは、芝1600mのデビュー戦からして破格だった。直線に入っても騎手が手綱を持ったままで、2着に7馬身差をつける圧勝劇を披露。舞台となった京都競馬場は騒然となった。

 しかし、若駒のうちは好不調の波が激しく、以降は勝ったり負けたりを繰り返した。日本ダービー(東京・芝2400m)にも駒を進めたが、控える競馬が裏目に出て9着に敗れている。

 このときのレースぶりから、厩舎サイドは「この馬は逃げたほうがいい」と判断。以後、逃げ戦法が主体となるが、それでも4歳時は凡走を繰り返した。ダービーのあと、海外遠征を含めて4戦するも未勝利に終わった。

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