【競馬】ブリランテのダービー制覇を予感させた「牧場の奇跡」

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • 写真提供:パカパカファーム

 パカパカファームでは、スウィーニィ氏と、もうひとりのスタッフが中心となって、カタログの表紙やデザイン、掲載写真などを決めていく。本来、ダービーの週になっても表紙が決まっていなければ、「早く表紙の写真を決めるように、スタッフから急かされる」とスウィーニィ氏は笑う。だがその年は、スタッフからの催促はなかった。

「つまり、私もそのスタッフも、同じことを考えていたんです。『もしかすると、ダービーを勝つかもしれない』と。そうなれば、当然ダービーのゴールシーンこそ最高の表紙ですから、たとえスケジュールが厳しくてもその結果が出るまで待ったほうがいい。もちろん、ディープブリランテにとって距離延長がプラスになるとは思えませんでしたし、正直言って、自信はありませんでした。でも、何となく希望を感じていたんです。そして、そう思っていたのは、私だけではなかった」

 結局、この年はダービーが終わるまでカタログの表紙を空白にして、印刷所に回すのをストップしていた。

「面白かったのは、私もスタッフも同じことを考えていながら、ダービーまでひと言もそれを口に出さなかったこと。『もしかするとダービー勝つかもしれないから……』という話は一切せず、とにかく表紙についてはお互いに何も言わなかったんです。何となく、口に出すとダメになってしまう気がしたのかもしれません。今考えると不思議ですね(笑)」

 さらにダービーの直前、牧場ではもうひとつ大きな出来事が起こっていた。伊藤氏が語る。

「最後に出産を予定していた繁殖牝馬が、なんとダービーの2日前に子どもを産んだんです。予定日より5日も早い出産でした。もちろん偶然の出来事なんですが、これには“運”を感じましたね。そのあと、僕はすぐに飛行機を手配して、東京に行く準備をしました。牧場で連れていくスタッフはすでに何人も決まっていたので、僕は自腹でした。それでも、自分の生産馬がダービーに出るなんてもうないかもしれないですから、東京行きには何の迷いもなかったです」

 ダービー直前に起きた偶然の出産。おかげで、伊藤氏は再び競馬場でディープブリランテの晴れ舞台を見届けることとなる。次回からはいよいよ幕を開けた日本ダービーでの模様を振り返っていく。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
『パカパカファーム』facebook>

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