【競馬】皐月賞の出走直前、生産者たちの胸中に去来したモノ (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • JRA●写真

やや重という馬場コンディションで行なわれた2012年の皐月賞。やや重という馬場コンディションで行なわれた2012年の皐月賞。 皐月賞のスタート時刻は、15時40分。15時を過ぎた頃には、出走馬がパドックに姿を見せた。伊藤氏と一緒に競馬場に入ったスウィーニィ氏は、ディープブリランテの姿を見て、体調のよさを感じたという。

「馬体の出来や雰囲気はまったく問題ありませんでした。あとは、とにかくレースでリラックスできるか。それだけです。リラックスさえできれば、2000mの距離も大丈夫だと思っていました」

 スウィーニィ氏とともにディープブリランテの姿を見守った伊藤氏には、こんな思いが去来した。

「出産のときから見てきた馬が、有力馬として皐月賞に出ることを改めて実感しましたね。体は大きくなりましたが、顔なんかは牧場時代そのまま。面影が残っているんです。その日の体調もよさそうでしたね。ひいき目はあったでしょうが、一番よく見えましたし、『これなら勝てるかもしれない』と思いました。そのため、このときはブリランテの単勝をウン万円も購入してしまいましたよ(笑)。そのくらい気持ちが入っていたんです」

 こうしてスタートの瞬間を迎えた2012年の皐月賞。ゲートが開くと、ディープブリランテは2頭の逃げ馬を見ながら、3番手の位置をキープした。しかし、その姿はまさに前走の再現。何度も頭を上げるアクションを見せたのだ。完全に引っ掛かってしまっていた。

 戦前の危惧が現実となってしまった皐月賞。そんな中、ディープブリランテはどのような走りを見せたのだろうか。次回は、皐月賞の結末、そしてダービーに向かう日々を追いかけていく。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ

1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
『パカパカファーム』facebook>

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る