【競馬】無傷で挑む皐月賞。トーセンスターダムに託された「夢」 (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • JRA●写真

 オーナーブリーダーとは、自らサラブレッドの生産を牧場で行ない、その生産馬の馬主となって、デビューから引退までの面倒をみることを言う。さらには、現役を引退した所有馬を、種牡馬や繁殖牝馬として自分の牧場に帰し、その子どもをまた競走馬として育てていくことも可能だ。

 1997年に馬主となった島川氏が、オーナーブリーダーとしての一歩を踏み出したのは2006年。北海道日高町にエスティファームを開場したのが始まりだった。同氏が牧場を作った理由について、エスティファームの取締役場長・田邊誠一氏はこう語った。

「もともとは『引退した馬たちの居場所を作りたい』という考えで作られました。オーナーは、所有馬を引退後も大事にしたいという気持ちが強いので。所有馬の余生を考えるうえで、すべての馬とはいかずとも、少しでも多くの馬の居場所を作れれば、という思いで開場したようです」

 現役時代に大レースを勝った競走馬は、牡馬なら種牡馬、牝馬なら繁殖牝馬として引退後に第2のステージが用意される。しかし、これらはほんのひと握りで、それ以外の馬はどんな余生を過ごせるか、一概に言えない現実がある。そこで、所有馬の余生のための場所として作られたのが、エスティファームだった。

 実際、現在のエスティファームには、トーセンファントムやトーセンロッキー、トーセンロレンスなど、必ずしも現役時代に実績を残せなかった馬たちが、種牡馬として繋養されている。牝馬についても、「現役を引退するときは、まず繁殖牝馬としてエスティファームに残せるか、オーナーと話し合っています」(田邊氏)とのことで、「トーセン」の名がついた馬たちが数多くいる。

 その他、2010年に重賞の中山記念を制したトーセンクラウンなども、功労馬(種牡馬・繁殖牝馬ではなく、引退後の余生を送る馬のこと)としてエスティファームで過ごしている。

 このように、最初は「余生」を考えて作られたエスティファームだが、近年は規模を一気に拡大し、強い馬作りも目指し始めた。背景には、島川氏が「自分たちの手で強い馬を作り、最初から最後まで面倒を見たい」と考え始めたことが、きっかけにあったようだ。その結果、頭数は大きく増え、牧場の成績(生産馬の年間収得賞金の合計)も、2011年は100位以下だったのが、2012年には45位、2013年は30位にまで上がっている。

「開場当初は30ヘクタールほどの牧場でしたが、今は250ヘクタール(およそ東京ドーム53個分)を超える広さとなりました。繁殖牝馬はオーナー所有の引退馬だけでなく、最近はセリ市などでも買っています。その結果、現在は年に60~70頭ほど生産するようになりましたね。そうした環境ですから、現在はオーナーと毎日電話をしながら、仔馬の状態や牧場の状況を報告していますよ」(田邊氏)

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