【競馬】偉大なる女神・鈴木淑子が語る「心を打たれた春の3歳牝馬」 (2ページ目)

  • 河合力●構成 text by Kawai Chikara
  • photo by Nikkan sports

 初めて見るオークスを前に、私は番組の担当者からこう教えてもらいました。
「オークスに出る3歳牝馬は、人間で言えば、まだ高校生くらい。オークスはその女の子たちが、2400mという"未知"の距離で競う過酷なレースなんだ」と。

 まだ自分も若かったものですから、その言葉を聞いて、レース前はいつも以上に緊張しましたね。同じ"女性"として、親近感がわいたんです(笑)

 そうして、スタートのときを迎えた1983年のオークス。レースはスムーズに運び、直線ではダイナカールとメジロハイネの2頭が叩き合う形になりました。優勝争いはこの2頭に絞られたかと思ったのですが、その後、さらに3頭が強襲。なんと5頭が横一線でゴールする展開になったのです。電光掲示板には、1着から5着まですべて「写真判定」の表示が出ました。

 写真判定の結果は、1着ダイナカール。2着のタイアオバとはわずかハナ差で、以下の着差も、5着のレインボーピットまでアタマ、ハナ、アタマという、稀(まれ)に見る大接戦でした。走破タイムも、上位5頭が2分30秒9の同タイム。これも、激戦ぶりを物語っていました。

 競馬中継に出演するようになってから、度々競馬の素晴らしさを知る機会がありましたが、このときは特に感動しましたね。2400mという過酷な距離を走りながら、最後は本当にわずかな差で勝負が決するんですから。

 しかもオークスは、サラブレッドにとって3歳のときにしか出られない一生に一度の晴れ舞台です。だからこそ、「なんというすごい"ドラマ"なんだろう」と痛感させられ、一生懸命走る馬たちの姿に心を打たれましたね。

 あのオークスの直後は、心の底から「みんな1着でいいのに」と思いましたが、やはりその大接戦を制したダイナカールは忘れられない馬になりました。オークス後もずっと応援し続けました。

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