【競馬】ディープブリランテの母は「美人だった」 (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • 写真提供:パカパカファーム

 現地のオーナーとの交渉を経て、2004年に日本へとやってきたラヴアンドバブルズ。しかし、来日して空港で検疫(※海外から連れてきた動物に対し、特定の病原体などを持っていないかチェックする行程)を受けた際には、馬体がかなり細くなっていたという。

「ラヴアンドバブルズは、引退後すぐに日本へやってきたのですが、現役時代の疲れが出てしまったのか、来日時にはかなり痩せていましたね。私が以前見たときの印象とはだいぶ違いました。検疫の担当者も『ハリーさん、この馬かなり細いけど大丈夫?』と心配したほどです。でも、パカパカファームでゆっくり過ごしているうちに、なんとか馬体は回復してくれました。その姿を見たとき、本当に安心しました」

 日本での繁殖生活をスタートさせたラヴアンドバブルズは、2005年、2006年と、ダンスインザダークとの種付けを行なった。そうして、2006年に生まれたのが牝馬のラヴインザダーク、2007年に生まれたのが牡馬のウインバロンドールだった。
 
 ラヴインザダークは25戦2勝、ウインバロンドールは1戦0勝で引退となったが、スウィーニィ氏は「ケガさえなければもっと活躍できたはず」と残念そうな表情を見せた。それほど2頭とも素晴らしい馬体の持ち主で、才能を感じさせたという。

 なお、ラヴインザダークは「ラヴアンドバブルズの後継」として、現在はパカパカファームで繁殖生活を送っている。このことからも、スウィーニィ氏の期待のほどがわかるはずだ。

 ラヴアンドバブルズにとって、日本で3度目の種付けとなった2007年春。スウィーニィ氏は、ディープインパクトを配合することに決めた。当時、ディープインパクトの種付け料は1200万円。ダンスインザダークの種付け料が500万円だったことを考えれば、いかにこの選択が勇気のいるものだったかわかる。

「1200万円という種付け料は、もちろん高リスクですが、ラヴアンドバブルズが生んだ2頭の産駒がとにかく素晴らしかったので、それなりに自信はあったんです。あまり迷うことなく、ディープインパクトを配合することに決めました」

 翌2008年に生まれたのが、牝馬のハブルバブルだった。同馬は、2011年のGIIIフラワーカップ2着などの成績を残した。スウィーニィ氏も「牝馬だったので、決して雄大な感じはしませんでしたが、ハブルバブルも素晴らしい馬体でした」と当時を振り返る。

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