【競馬】常識を覆した「女帝」。永遠に受け継がれるエアグルーヴの魂 (3ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Nikkan sports

 4歳時(現在の表記では3歳)のクラシック戦線ではオークスで優勝。母ダイナカールとの母子2代制覇を成し遂げた。そして、天皇賞・秋を制した5歳時には、牝馬として26年ぶりに年度代表馬に輝いた。以後、6歳になって有馬記念を最後に引退するまで、常に日本の競馬シーンのトップレベルで戦い続けた。

 通算成績は、19戦9勝。うち重賞7勝、GI2勝。19戦のうち着外(4着以下)は、レース中に骨折していた秋華賞(10着/1996年)と、レース中に落鉄していた引退レースの有馬記念(5着/1998年)の2回のみ。あとは、大半が牡馬一線級と渡り合いながら、3着以上の馬券圏内は確保した。

 レースでは、常に持てる力を出し切った。生まれついた能力や血の力だけでなく、そのイメージとはどこか異質な、泥臭さやひたむきさが、エアグルーヴには備わっていた。

 ここ5年、日本の競馬シーンでは、ウオッカの2年連続(2008年、2009年)をはじめ、ブエナビスタ(2010年)、ジェンティルドンナ(2012年)と、牝馬が4度、年度代表馬に輝いている。その意味では、牝馬が牡馬を負かすことも、牝馬が「最強」と呼ばれることも珍しくはなくなった。

 だが、その先鞭(せんべん)をつけたのが、最強クラスの牡馬を「ねじ伏せて勝った」エアグルーヴだということを忘れてはならない。彼女のあの勝利こそが、牝馬の可能性を新しい領域へと導いた。それまでの「牡馬優位」という常識に風穴を開け、牝馬でも牡馬一線級と当たり前のように渡り合う時代への道筋をつけたのだ。今ある「牝馬の時代」を切り開いたのは、間違いなく20世紀最強の牝馬、エアグルーヴだった。

 引退後は繁殖牝馬となり、エリザベス女王杯2連覇を果たしたアドマイヤグルーヴをはじめ、香港の国際GIクイーンエリザベスCを制したルーラーシップなど、計11頭の産駒を残して母としても立派な成績を収めた。

 急死する要因となったのは、キングカメハメハとの間にできた産駒を産み落とす際の内出血と言われる。まさに彼女は、自分の命と引き換えるようにして、我が子をこの世に送り出したのだ。そう思うと、亡くなったのは非常に残念で悲しいが、彼女は最後まで彼女らしく、ひたむきに、母としての使命をまっとうしたのだと思う。その意味では、彼女らしい最期だったとも思う。ありがとう。安らかに。

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