【競馬】常識を覆した「女帝」。永遠に受け継がれるエアグルーヴの魂

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Nikkan sports

1997年の天皇賞・秋。内で懸命に追うバブルガムフェローに競り勝ったエアグルーヴ。1997年の天皇賞・秋。内で懸命に追うバブルガムフェローに競り勝ったエアグルーヴ。 1997年10月26日、東京競馬場――。

 メインレースの天皇賞・秋(芝2000m)は、前年の覇者バブルガムフェローが、単勝1.5倍と断然の人気を集めていた。これに続くのが、紅一点のエアグルーヴ。単勝は4倍。下馬評では「この2頭が強い」と言われながら、両者の評価には「2強」とは言い難いほどの開きがあった。

 バブルガムフェローの実績や能力もさることながら、やはり天皇賞・秋のような、その時代の最強クラスが集まる中距離のレースでは、本質的な身体能力において、牡馬に分があると見られていたからだろう。実際にこの数年前、"女傑"として一世を風靡したヒシアマゾンも、牡馬一線級とのGIレースでは一度も勝てなかった。それが、その時代の「常識」だった。

 ゆえに、この両者の対決について、当時最も人気のあった競馬評論家が、テレビ番組でこう解説していた。

「力が上の馬に下の馬が勝つには、直線、外から追い込んではダメ。絶対に内を突くこと。そうすれば、少しだけ勝機も出てきます」

 要するに、エアグルーヴが真っ向勝負を挑んでも、「王者」バブルガムフェローには勝てない。勝つには"奇襲戦法"しかないと、この評論家は言いたかったのだ。

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