なぜサポーターは暴力をふるうのか イタリア人記者が考察する残虐行為と犠牲者のリスト (2ページ目)

  • パオロ・フォルコリン●文 text by Paolo Forcolin
  • 利根川晶子●訳 translation by Tonegawa Akiko

【欧州サッカーのもうひとつの歴史】

 ローマダービーで、反対のゴール裏から発射されたロケット弾で顔面を撃たれ亡くなったラツィオサポーターのヴィンチェンツォ・パパレッリ。ジェノア対ミラン戦の後に、ジェノヴァのマラッシ・スタジアムの外でミラニスタ(ミランファン)に刺されたヴィンチェンツォ・スパニョーロ。あるいは、シチリアダービー、カターニア対パレルモ戦後の両サポーターの乱闘のなかで殺された警官フィリッポ・ラチーティ。高速のサービスエリアで不条理にも警官の発砲で殺されたラツィアーレ(ラツィオファン)のガブリエレ・サンドリ。ローマのオリンピコの外でロマニスタ(ローマファン)に殺されたナポリサポーター、チーロ・エスポジート......。

 そしてその最大の事件は1985年5月29日、チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝ユベントス対リバプールが行なわれていたベルギーのヘイゼルスタジアムで起こった悲劇だ。39人ものユベンティーノ(ユベントスファン)がリバプールのサポーターに殺された。

 ここでサッカーの名のもとに行なわれた暴力のすべてを列挙するつもりはない。だが、いくつかの考察をしたいと思う。

 まず、決して短くはない暴力事件のリストにおいて(もちろん例外もあるが)、最も深刻な事件はスタジアムの中ではなく、外で起こっている。また、いくつかの事件はスタジアムからまるで関係のない場所で起こっている。たとえばガブリエレ・サンドリの事件は、試合の直接の対戦相手でさえなかった。その日に行なわれるインテル対ラツィオ戦のため、ミラノに向かっていたラツィオのグループと、パルマ戦のためにトリノからパルマに向っていたユベントスサポーターのグループがたまたまサービスエリアで鉢合わせとなり、争いに発展したのだ。

 チーロ・エスポジートの死も同じだ。ナポリ出身の青年は、コッパ・イタリア決勝のフィオレンティーナ対ナポリを観戦するため、試合の行なわれるローマのスタディオ・オリンピコに向かっていた。しかし、準決勝でナポリに敗れていたローマのウルトラス(熱狂的なサポーター集団)は、彼らのホームでナポリが決勝を戦うことを快く思わず、ナポリサポーターを待ち伏せし、乱闘のなかで彼をピストルで撃ってしまった。

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