柴崎岳のスペインでの7年をどう評価するか 明暗を分けた「どこもできる」技術 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

【チームの結果には結びつかなかった】

「技術だけではない。ガクはフィジカル的に堂々としているし、ダイナミズムも持っている。そして頭脳明晰だ。おかげで、あらゆるプレースタイルに適応できる。ボランチ? 完璧だね。右インサイドハーフ? 左インサイドハーフ? 完璧だ」

 手放しの賛辞だったが、当時のチームは2部から3部に降格している。「どこもできる」ということは、「どこもできない」となる可能性がある。このあたりが、柴崎の明暗を分けたか。

 あえて分類したら、柴崎はクラシックな10番タイプだろう。FWに近いポジションで、自由にパスをしたら破格の才能の持ち主と言える。ただし、そのゾーンではかなりのバトルが求められ、彼にはたとえば鎌田大地(ラツィオ)のような速さも強さもなかった。

 そこでボランチでの起用が定着、プレーメイカーとしては高いレベルを誇った。しかし、今度は守備面の強度を求められると、途端に弱さが見えた。五分五分のボールの取り合いでは劣勢になるケースが多く、背後を見ながらコースを切って侵入した敵を潰すような狡猾さもない。受け身になるチームでは、起用法が難しかった(サイドでもワンポイントで起用されていたが、崩し役タイプでもなかった)。

「チームを勝利させるボランチ」

 スペインではボランチに、チームに勝ち星をつけられるパーソナリティが求められる。自らゴールすること以上に、チームを機能させ、周りの選手の実力を発揮させられるか。そのためには、守備は基本となる。自らの持ち場で負けない、守備ラインを破られない。そこでの精強さによって、チームの軸となれる。

 チームの結果と連動してボランチは評価されるのだ。

 柴崎はありあまる才能を持ち、そのプレーはエレガントかつクレバーで、多くの監督に用いられてきた。しかし、チームの結果には結びつかなかった。それが7シーズンも続けられた理由と言えるし、7シーズンで終わった理由とも言える。テネリフェからヘタフェに一度、"個人昇格"したが、その後は所属チームを1部に導くことができず、最後はスペイン挑戦を断念することになった。

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