上田綺世に小野伸二から激励も フェイエノールトの「特別な存在」を目指す (3ページ目)

  • 中田徹●取材・文 text by Nakata Toru
  • photo by AFLO

【コンバートで成功した例も】

 私たちの議論はスロット監督の意向を確かめることなく進んでいった。

「セルクル・ブルージュ時代はいろいろなポジション、いろいろなシステムでプレーしましたね。いろいろなポジションは......」と会見で尋ねると、上田は「できたほうがいい」と即答した。ここから「フェイエノールトにはジャハンバフシュというストライカーのような右ウイングがいます。上田さん、右ウイングは?」と本題に入る。

「やりたいという感覚はありません。でも、与えられたポジションで自分なりのプレーができればいい。セルクル・ブルージュでもそうだした。そのことは今も変わりません」

 子どもの頃からゴールへの意欲が旺盛だった。鹿島アントラーズノルテでプレーした中学時代は「当時は背が低かったのでボランチでしたが、僕の体が小さくてFWで出ることができず、(表現としては)『ボランチをやらされていた』というのが正解です。それでも試合に出たらFWみたいな動きをしていました」と中盤の底から敵陣ゴール前まで迫っていたらしい。

 上田のスペックはザ・ストライカー。ブラジル人FWダニーロがレンジャーズ(スコットランド)に移籍したことでフェイエノールトは上田を獲得したが、どちらかというと上田は「将来、ヒメネスがステップアップした時の後継者」として見られている。もちろん、上田はヒメネスのポジションを奪いにいくだろう。

 一方、先人の小野は攻撃的MFではなく、ポール・ボスフェルトとダブルボランチを組むことで新たな境地を拓いた。また、右サイドバックの菅原由勢を右ウイングにコンバートして重宝したのは、当時AZを率いていた現フェイエノールト監督のスロットだった。

 選手の配置で何が起こるのがわからないのがオランダサッカー。生粋のストライカーであるハーフナー・マイクはフィテッセ時代、『ハーフナー改造プログラム』の一環としてボランチ、トップ下、左ウイングで出場機会を得て、最終的にストライカーのポジションを掴んだ。

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