元横浜F・マリノス中町公祐が体感したアフリカ社会とザンビアサッカーの現実 「大きな音がしたと思ったら銃弾が...」 (2ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao
  • 竹谷郷一●写真 photo by Takeya Kyoichi

【MOMの賞金が1250円】

 警察が母体となったクラブ、ムトンド・スターズ時代にはこんなことがあった。

ザンビアでプレーしながら、NPO法人の代表としてさまざまな支援活動を行なっている中町公祐ザンビアでプレーしながら、NPO法人の代表としてさまざまな支援活動を行なっている中町公祐この記事に関連する写真を見る「土曜日の試合を終えて翌週の練習に参加したら、オーナーのひと言で6、7人がクビになっていました。アフリカは縦社会の傾向が強く、上の人には絶対(服従)みたいな部分が多くあります。しかも、そんなクラブでも来季は1部に上がってくる。ちなみに僕がムトンド・スターズに所属していた頃、僕は2部だと思ってプレーしていたのに、後々3部だったと知りました。そんなこと、普通はないですよね(笑)」

 文化や考え方の違いに悩まされたことも数知れない。ゼスコ・ユナイテッド時代に、給料の遅延があり、チームメートの多くは練習をボイコットする動きを見せた。ただ、日本人としては、いくら給料の遅延があったとはいえ、練習をボイコットして迷惑をかけることには戸惑いがあった。それで練習に参加したところ、チームメートから"集中砲火"にあったという。

「『オマエは真剣じゃない』『もっと文句を言え!』って怒られましたから。まあ、アフリカでは主張しない限り、遅延された給料なんて払われるわけないってことなんだと思います」

 中町がゼスコ・ユナイテッドへの移籍を決めた際、サラリーが10分の1ほどに下がったことも話題になった。だが、現実的にその金額のみで中町が現地で活動するには無理がある。移籍の発表は突然だったが、中町は事前にスポンサーを集めるなど、入念に準備していたと振り返る。

「行き当たりばっかりでザンビアに行ったわけではないし、ただ移籍するだけのようになってしまう衝動的なことはしたくなかった。

 ザンビアでもプロ選手は、カテゴリーによって金額の大小はあってもサッカーをすることでみんな生計を立てています。けど、決して裕福な暮らしをしているわけではありません。いつだったか、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたのに、もらった賞金は約1250円でしたから(笑)。

 シティ・オブ・ルサカに所属していた時は、『外国人選手なのでワークパーミッド(労働許可証)を取得するためにいくら』『何々するためにいくら必要』などと言われて計何十万円も請求され、結局、最後3000ワクチャ(日本円で約2万円)しかもらえなかった。それなのに月曜から水曜まで、午前午後3時間ずつの二部練があったり、冷静になると、もっと違うことができるんじゃないかと思ったこともありますけどね」

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