齋藤学が語るオーストラリア移籍。「まだ、サッカーを続けないと...」と思った理由とは (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

【昨季は韓国でチームの1部残留に貢献】

 川崎では3シーズンを過ごし、2度のJリーグ優勝に貢献した。3年連続でカップ戦含めて20試合以上に出場。今や日本代表の顔となっている三笘薫とポジションを競い合った。

 2021年には名古屋グランパスに新天地を求め、リーグ戦24試合に出場した。日本代表の相馬勇紀とも熾烈なポジション争いを演じ、2022年はシーズン途中で水原に完全移籍。19試合に出場し、チームを降格の危機から救った。

「名古屋では試合に出られていなかったので、自信を失っていました。でも韓国でチャレンジができて、プレーできる感触を再び確かめられて、"違いを作れる選手として、もう一回やりたい"って気持ちになりました」

 齋藤は異国のピッチで、サッカーに夢中になった。

 10月のリーグ戦、左サイドからドリブルで崩し、ひとり、ふたりと抜き去ったあとだった。相手に無理矢理に倒され、ポスト横で手を突いた時、手の甲を骨折していた。しかし、そのプレーができたことのほうがうれしかった。アドレナリンが出て、折れたままプレーした。その後も日常生活はギプスで固め、試合で取り外し、テーピングをぐるぐる巻きにし、ピッチに立った。最後は痛み止めを6錠も飲み、ピッチに立って残留を引き寄せた。

「学、お前のおかげで残留できた!」

 チームメイトにそう言われると、心底、うれしかった。ピッチに立てることに感謝した。
 
 昨年10月、東アジア選手権などをザックジャパンでともに戦った工藤壮人の早すぎる死を悼んでいる。同年代で、お互いに切磋琢磨した。頻繁に連絡を取っていたわけではなかったが、ショックは大きかった。ニューカッスルと契約にサインした日、代表時代に工藤とふたりで歩く姿を写した写真を関係者からもらっていた。

「まだ、サッカーを続けないと......」

 巡り合わせを感じ、心に誓うものがあった。

 ニューカッスルは、アンジェ・ポステコグルー監督時代の横浜FM元ヘッドコーチであるアーサー・パパスが監督を務め、攻撃色が強い。ポゼッション戦術を掲げ、60%以上のボール支配率を誇るという。ただ、崩しからゴールのところで課題があった。

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