ブラジル人記者の嘆き。王様ペレの葬儀にセレソンの新旧スター選手たちが背を向けたのはなぜか (4ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【決勝までカタールW杯を観戦していた】

 たぶんペレは歴史上、一番有名なブラジル人だ。「知っているブラジル人の名を挙げてください」と国外で老若男女に聞いたなら、特にサッカーファンでなくとも、挙がってくるのは紛れもなく「ペレ」の名前だろう。ブラジルの大統領の名前は知らなくても、ペレの名前は知っているはずだ。私は職業柄、地球のあらゆるところに行くが、私がブラジル人と知ると決まって笑顔になり、返ってくるのが「おお、ペレの国か」だった。ブラジルとペレは同義語でさえあった。

 ペレの国葬をしなかったブラジル、参列しなかった選手たちは、そのことをすっかり忘れてしまっている。

「葬儀は生きている人のためにあるのであって、死んだ人のためにあるのではない。多くの選手たちの欠席は、彼らの精神が貧しいこと、そして彼らのせいでブラジルのサッカーが小さくなってしまったこと、文化を失いつつあることを物語っている。彼らは自分のヘソの先のことしか目に入らない。ペレの偉大さを認めないことで、彼らは自ら、自分たちを矮小な存在にしてしまっている」

 USP(サンパウロ大学)体育・スポーツ学部のカティア・ルビオ准教授の言葉だ。

 一方、市井の人々はペレの偉大さを十分理解していた。サントス市の人口は43万人だが、その75%以上がペレの弔問に訪れるか、もしくはパレードに加わった。ペレの棺が町中を進む中、人々は花を降らせ、ずっとペレへのチャントを歌っていた

「1000ゴール、1000ゴール、1000ゴール、達成できるのはペレだけ、1000ゴール!」

 多くのテレビはその様子を中継し、1週間にわたってペレのビデオを流し続けた。

 ペレは11月24日に入院したが、カタールW杯の決勝までのほとんどの試合を観戦していたと、彼の娘は語っている。ペレは80歳を超えていたにもかかわらず、SNSを駆使していて、大会中も更新を続けていた。リオネル・メッシを称え、エムバペに賛辞を送った。ネイマールが自身と同じ代表77ゴールを決めた時には「ずっとあなたの成長を見ていた」「自分があなたにインスピレーションを与えていたとしたら嬉しいし、あなたも若い他の選手たちにインスピレーションを与えてほしい」とメッセージを送っている。

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