ブラジル人記者の嘆き。王様ペレの葬儀にセレソンの新旧スター選手たちが背を向けたのはなぜか (3ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

【唯一評価していたのは82年のセレソン】

 ペレはこの時、グルーボTVで解説をしていたが、大会前「ブラジルはいいチームではない。実力はコロンビアのほうが上だ」と発言し、当時のメンバーとの間に確執が生まれた。ドゥンガは激怒し「ペレは現役の選手たちを妬んでいるんだ」と発言、ロマーリオは「ペレは口を開かない時だけ、詩人になる」と言った。余計なことは言うなという意味だ。

 ペレはこれに対し「私はキリスト教徒だから、無知な者を許す」とコメントを返した。このようにペレは、天才ゆえなのか、自分の思ったことを正直に言ってしまうという点があった。それが普通の人間の口から発せられたものなら、聞き流すこともできるだろうが、王の口から出た言葉となると重みは増し、誰もがそれに耳を貸す。ペレが何気なく言った言葉に傷つき、それを忘れられない選手も多かったのかもしれない。

 ペレは最近では、あまり現役の選手たちについてはコメントをしたがらなかった。それはこうした痛い思いをしたことがあるからかもしれない。

 自身の引退以降、ペレが唯一評価していたチームは82年スペインW杯のセレソンだ。残念ながらパオロ・ロッシのイタリアに敗れたが、この時のチームは、W杯史上最強と言われた70年ブラジル代表に似ていた。70年には5人の背番号10(所属クラブでの背番号、役割。ペレ、トスタン、ジャイルジーニョ、リベリーノ、ジェルソン)がいたが、82年にも4人のファンタジスタ(ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレゾ)がいて、皆に夢を見せてくれるチームだった。

 実際のところ、ペレは選手たちにとっては煙たい存在だったのかもしれない。彼らは自分たちの力でセレソンが名声を勝ち取ったのだと信じたがるが、実はそのほとんどはペレがお膳立てしてくれたものだ。いや、サッカーだけではない。ペレが活躍する前のブラジルは自信のない野良犬のような国だった。貧しく、政治も混乱し、特に誇るものはなかった。その国にサッカーというアイデンティティーを与えてくれたのはペレだった。58年、62年、そして70年の優勝で、人々はブラジルに拍手を送り、ブラジルはサッカー大国となり、国際社会の一員になることができたのだ。

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