W杯優勝のメッシはマラドーナを超えたのか。アルゼンチンサッカーを40年追ってきた自国ベテラン記者の見解 (2ページ目)

  • セルヒオ・レビンスキー●文 text by Sergio Levinsky
  • 井川洋一●翻訳 translation by Igawa Yoichi

【いずれ、マラドーナになれるかもしれない】

 またマラドーナは開けっぴろげのお親分肌の性格で、誰とでも気さくに接し、幼少期の自身のように恵まれない人はもちろん、国のトップや革命家などとも交流を深めてきた。かたや、メッシは内気な性格で交際範囲も限られている。

 マラドーナが活躍した頃は、SNSはおろか、インターネットもない時代で、ビッグスターが生まれやすい土壌があった(現在は人々の趣味や趣向が細分化され、ほとんど誰もが称えるスターというのは、どんな分野でも生まれにくい)。

 だからメキシコW杯で優勝しただけでなく、その過程で憎きイングランド──「英国はマルビナス戦争で多くの若いアルゼンチン人の命を奪った」とマラドーナは言った──を相手に"神の手のゴール"と"5人抜きゴール"を決めた英雄は、完全に神格化されていた。むろん、アルゼンチンのメディアは、マラドーナに心酔している人ばかりだった。

 アルゼンチン人記者たちは、メッシが台頭してきて見事な活躍をし始めた時、まずはマラドーナに感想を求めて、彼がメッシを褒めたら自分たちも同調するという姿勢だった。

 マラドーナも当初はメッシを手放しで讃えていたが、彼が代表監督として若き日のメッシを連れて2010年の南アフリカW杯に参戦してからは、トーンが変わった。なぜなら、準々決勝でドイツに0-4と大敗して大会を去ることになり、その失敗がふたりの間柄に傷をつけたからだ──誰も大きな声では言わなかったことではあるが。

 その頃からマラドーナは、「メッシはリーダーではない」と何度も公言するようになり、メッシにのしかかる重圧はさらに増していった。ラ・リーガやチャンピオンズリーグを制し、得点王やバロンドールに輝こうとも、メディアやファンは「いずれ、マラドーナになれるかもしれない」と言うにとどめていた。

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