日本代表メンバー発表を前に菅原由勢が明かす切実な想い。「人生で一番難しい時期だった」 (2ページ目)
死ぬほどプレーしたかった
「自分にアタマにきましたね。あまりケガっていうものを公表したくなかったし、自分でケガしたわけだから、痛いと思ったとしても、やれると思ったらやるだけだという考えでした。チームの状況も含めて、(レギュラーという)立場的にも、やっぱり試合に出なきゃいけなかったし、タイミング的にも本当に最悪なタイミングで......。結局、手術しなければいけないケガでした」
当時は連日、負傷の状況や出場可能時間についてクラブと話し合いを行ない、日本代表ともコンタクトを取り合った。結局、言葉が通じて安心できる日本で最終的な診断を受け、手術を行なった。
「正直、代表を離脱(したくない)っていうのもずっと頭の片隅にはあったんです。死ぬほどプレーしたかった。代表って、やっぱ特別なものなので、多少のケガがあっても(加わりたい)っていうのは考えてたんですけど、日本を代表して戦う以上、80パーセント、90パーセントのパフォーマンスでピッチに立つべきなのか。それは自分の価値を下げることにもつながりかねないし、日本代表としてピッチに立つひとりとして、そういう選手が立つべきではないのかなとも(考えた)。すごく難しい時期でしたね。人生で一番難しい時期だったんじゃないかな、と思います」
診断は膝半月板の損傷で、本人が言うには「人より半月板が大きくて、少し剥がれちゃったのでそれを切り取っただけ」とのこと。結局、2カ月程度で戦線復帰は果たした。
8月7日のオランダリーグ開幕以降、AZはここまで国内、欧州合わせて10試合を戦っているが、菅原ははじめの3試合は出場がなく、その後の7試合は途中出場が続いている。
「見てもらったらわかるんですけど、別にケガしてたという感じはしないと思うんです。最初の復帰戦(8月18日)も、2分ぐらいでアシストできたし。目先に9月の代表があって、ワールドカップがあって、というので、ゆっくりできないんでね。ただ、やれることを毎日毎日クリアするだけです」
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