板倉滉の新天地ボルシアMGの黄金時代。バイエルンよりオシャレだった (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

ボルシアMGのユニフォームは似合うか

 その大きな原因は緑にあった。緑とひと口に言ってもその幅は広い。明るいグリーンもあれば、暗いグリーンもある。軽かったり、重かったり、世の中にはひと言では言い表せないさまざまなグリーンがある。

 ボルシアMGのグリーンは白と黒との相性がいい、ポップさがより際立つ、発色のいいグリーンとでも言おうか。それまで見たこともないグリーンと白と黒の配色に目が奪われることになった。赤を基調としたバイエルンより断然、オシャレで目に眩しかった。

 しかし、筆者が初めてボルシアMG対バイエルン戦をメンヘンングラードバッハに観戦に訪れたとき、筆者は赤い服装で行ってしまった。バイエルンにジョルジーニョ(元鹿島アントラーズ、ブラジル代表)がいた頃だから1990年代前半のことだ。悪いことに、その時、先方に送った取材申請が通っておらず、筆者は熱気に満ちた一般席での観戦を余儀なくされた。白と黒と緑で埋まる観客席に入ると赤は目立つ。宿敵バイエルン側の人物に見えてしまう可能性は高い。それは危険だと、着ていた洋服を裏返しにして観戦したことを思い出す。

 ボルシアMGは1度だけ来日している。1978年、キリンカップの前身にあたるジャパンカップの初回大会に参加。日本選抜、パルメイラス、韓国代表、ケルンと対戦した。準決勝で対戦したケルンには、日本人として欧州でプロ選手第1号となった奥寺康彦さんがいた。

 その1年前、日本代表が西ドイツ遠征をした際、時の代表監督・二宮寬さんと親交があったケルンの監督、へネス・ヴァイスヴァイラーが奥寺さんに目をつけたことが、移籍のきっかけとなった。ヴァイスヴァイラーは1964年から75年まで11年間、ボルシアMGの監督を務めていた、同チームの興隆を語る時に欠かせない人物である。
 
 そこから44年の間、多くの日本人選手がドイツ及び欧州の地を踏んでいるが、チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)準決勝でゴールを叩き込んだ実績を持つ奥寺さん以上の選手は現れていない。2011-12シーズンの大津祐樹以来、ボルシアMGでプレーする2人目となった板倉滉はどうなのか。なにより白と黒と緑のユニフォームは似合うのか。『ダイヤモンドサッカー』を見て育った世代には、数ある欧州組のなかでも気にしたくなる存在となる。 

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