サッカー界にもある「永久欠番」。語り継がれるレジェンドたちの偉業 (3ページ目)

  • 中山 淳●文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Getty Images

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 16歳でトップデビューを果たしてから現役を退くまでの25年間、チャンピオンズリーグ優勝5回(チャンピオンズカップ時代含む)、インターコンチネンタルカップ(現クラブワールドカップ)優勝3回、スクデット7回のほか、数えきれないほどのタイトルを獲得。それらの功績が称えられ、現在もミランの背番号「3」は永久欠番となっている。

 同市のライバルチームのインテルでも、95年から19年にわたって活躍した元アルゼンチン代表サイドバック、ハビエル・サネッティの「4」番が永久欠番だ。現在同クラブの副会長を務めるサネッティが記録した公式戦出場858試合はクラブ歴代最多記録であり、イタリアでプレーする外国人選手の最多記録でもある。

 レジェンドの功績を称えた永久欠番としては、そのほかにも60年代から70年代にかけて活躍したカリアリのルイジ・リーバの背番号「11」、90年代を代表するスーパースターであるロベルト・バッジョが、最後に所属したブレシアの背番号「10」などが知られている。

 一方、最近ではフィオレンティーナとカリアリが、現役中の18年3月4日に心臓発作で亡くなったダビデ・アストーリの「13」番を、その功績を称える意味と追悼の意味を込めて永久欠番としたことが有名だ。

 実は近年生まれた永久欠番は、アストーリのように現役中に他界した選手の死後に捧げるケースの方が多く、たとえば03年のコンフェデレーションズカップの試合中に亡くなってしまったカメルーン代表マルク=ヴィヴィアン・フォエはその代表例と言える。

 彼に対しては、当時所属していたマンチェスター・シティが「23」番を、それ以前に所属していたフランスのランスとリヨンが「17」番を永久欠番としている(ただし、リヨンはのちにカメルーン代表MFジャン・マクーンが入団した際、彼に17番を与えた)。

 直近では19年1月21日に飛行機事故で他界したナント(フランス)のエミリアーノ・サラの「9」番があてはまる。

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